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わたしの友達がいい奴なので紹介させてください。


友達でありながら、彼はお父さんのような、お兄ちゃんのような、お母さんのような、そんな人でした。

 

とっても、とっても、とーってもいい奴なので、彼について話させてください。彼と出会わなかったあなたのために、彼について知って欲しいんです。

 

 

わたしたちは大学2年生のときにお互いのことをしっかりと認識しました。

 

2年生から、わたしは哲学系のゼミを専攻しました。彼も同じゼミにいました。

 

几帳面さが顔に出ているような人でした。その頃、彼は体調をよく崩していて、欠席することが多く、まだ未成年のために飲み会が開催されることもなく、仲良くなる機会はありませんでした。

 

3年生になって、わたしは同じゼミの先生を選択しました。彼もでした。前年より体調が安定したのか、ふつうに授業に出席していました。

 

そして、わたしはとにかく彼が嫌いでした。

 

哲学なので、答えのないような問いにみんなで挑んで議論します。彼は論理的に話しながらも頑固で、わたしは感情的に話す上に頑固で、ふたりとも主張を曲げないのでわたしたちは事あるごとに対立しました。

 

もうイライラしてイライラして、わたしの意見に彼が口出ししようとすると、酷い顔をしてたと周りの友達に言われるくらい。

 

彼は大人なので、授業中の議論を教室外に引っ張らず、わたしのことをなんとも思ってなかったそうですが、わたしが彼のことを大嫌いだったというのは、2人の間で笑い話になっています。

 

笑い話にできるくらい、わたしたちはいつの間にか打ち解けていました。

 

なにがきっかけかはよく思い出せないのですが、その後仲良くなり、たぶん、わたしは大学時代、友達の中で彼と一番長い時間一緒に過ごしてたんじゃないかなって思っています。

 

最初こそマイナスからスタートした関係でしたが、それがあったからこそ、あっけらかんとして相手の嫌なところを言える、心地の良い関係を築けました。


身体が弱いことが手伝ってか、痩せていて、そこそこ背が高いのでスタイルがよかったです。流行に乗るタイプではなく、自分の好きなものを着る人で、それがちょっとお父さんぽいところでした。メガネも機能性重視っぽくて、言ってしまえば年齢より老けて見えました。(笑)

 

面倒なことは進んで引き受けてくれました。飲み会の幹事、合宿の幹事、プリント運び…みんなを裏から支える様はお母さんのようで、たびたびそう呼ばれるほど。

 

とても真面目で、テスト前はよく助けてもらっていました。その代わり、彼が体調を崩したと聞きつければ、お粥とポカリとプリンをもって彼の家に行きました。

 

恋バナもよくしました。彼はロマンチストだったので、夢見がちなわたしの恋愛に共感してくれて、よき相談相手だったと思います。彼はその真面目さゆえ、「好きな子が幸せになるのが一番だから、別に俺とじゃなくていい」とかふざけたことぬかしてたので、わたしはよくヤキモキしていました。付き合ったら重そうだけど、でも絶対絶対絶対大事にしてくれる。わたしが保証すると胸を張っていえる人でした。

 

わたしたちはなにかと助け合っていたと思いますが、やっぱり圧倒的にわたしが甘えていたのかもしれません。とっても優しい人でした。

 

大学4年の頃に、わたしは留学費用を貯めるために家賃17000円の取り壊し決定物件に引っ越しました。セキュリティもなにもあったもんじゃない、女子大生が暮らすとなると怖がって当然というような物件。当時わたしは恋人と同棲状態だったので、その家はクローゼット代わり。それでも時々、恋人の家にいれないときにはそこで寝泊まりしました。彼はわたしの家に遊びに来ていてそのボロさはよく知っていたので、わたしがそこで寝る日は心配して「うちに一緒に泊まるのは彼氏に悪いから、君が俺の家に泊まって、俺がそっちで寝るよ」とか、素っ頓狂な提案をするくらい優しさに溢れてました。それを断ると「たぶん心配で寝れないからなにかあったらいつでも電話して」って、わたしの恋人以上に紳士で恥ずかしくなるくらい。

 

勿論、その優しさはわたしにだけではなく、女の子は夜は必ず家まで送り届け(終電を逃せばふた駅だって一緒に歩き)、男の子には帰宅したか確認の連絡をとるほど。お分かりの通り、マメでもありました。

 

お腹をよく壊すので、彼のいる鍋パーティでは、鍋奉行のわたしが鶏肉の火の通りをしっかりチェックしていました。賞味期限もきっちり守るので、賞味期限切れの食材がたびたびわたしの元に届けられました(食いしん坊ではなくもったいない精神!とわたしは主張してました)。にもかかわらず、大学4年のときに牡蠣にあたって死にそうになり、助けてとゼミのLINEグループに書き込まれてわたしたちは大騒ぎ。本人は大変だったろうけど、みんなのお母さんはやっぱり愛されてるなあ、と思ったよ。

 

真面目なんだけど、しょーもないことにいつもにこにこしながら賛成してくれていました。部屋まるまるピタゴラスイッチにしたい、とか、ハチクロみたいに自転車で北海道まで行こう、とか、大学在学中は叶わなかったけど、馬鹿みたいなことを真面目に楽しげに聞いてくれました。スターウォーズを全編、朝の8時から深夜までぶっ通しで観たり、アランリックマンの死を追悼して彼の作品を観たり、あと、わたしの所属する団体のイベントにも参加してくれたり、いつもなにかと一緒に楽しんでくれていたね。深夜までカラオケして、その後自転車かっ飛ばしてオールナイトの映画観て、帰りにまた自転車走らせながら歌った歌はなんだったっかな。

 

卒業旅行に5回も行って、そのうちの2回が彼と一緒でした。ゼミの旅行も合わせると、4度も一緒に旅行に行ったことになります。車で遠出して、遊園地に行ったことも。旅行だけじゃなく、恵方巻きパーティとか、チョコレートフォンデュとか、たこ焼きパーティとか、わたしにとっては普通のイベントでも彼にとっては新鮮だったみたいで、いつもその日の終わりに「初めてで、すっごくたのしかった!」って感想をくれて、それがなんだか可愛くて、企画する楽しみをくれてました。

 

お誕生日のときはお互い、プレゼントと手紙を贈りあって、気持ちがほっこりしました。来年も再来年もお祝いしよう、って心に決めてました。

 

彼はピアノが得意で歌もうまかったので、わたしの結婚式の余興で「ヒマワリの約束」を歌ってもらうんだって、これも勝手に心に決めてました。


彼は頑固さゆえに就職活動が難航してましたが無事に第一志望の企業に受かりとても嬉しかったです。彼の社会人の抱負は「俺は幸せを増やせる人間じゃないから、不幸を減らせるように頑張りたい」でした。またまたネガティヴなこと言って、わたしは幸せもらってますよって思いながら、彼らしいなとも思い「ほどほどに頑張れよ」とエールを送りました。「そっくりそのまま返すよ」と言われました。そんなこと言われなくても、わたしは彼ほど頑張れるタイプの人間じゃないので心配いりません。

 

先月、わたしは誕生日を迎えて、彼からLINEでメッセージが届いていました。誕生日おめでとう、と、年賀状のために住所を教えてくれ、とのことでした。わたしは移住を検討していたので、お祝いの言葉をありがとう、住所はちょっと待ってね、と返しました。


今日、お昼ご飯を食べながら、彼に、「移住することにしたんだ!住所はここ!」と送りました。

 

数時間後、大学の教授から連絡がありました。

 

わたしが、彼にメッセージを送っていた頃、彼は、一人暮らしをしていたマンションの一室で既に亡くなっていました。

 

震える指で電話をかけました。繋がったけれど、知らない男の人と女の人がなにやら話していて、怖くなってすぐに切りました。呆然と立ち尽くす、涙が止まらない、頭が真っ白になる。その渦から、抜け出せない。

 

わたしの、友達は、どこへいってしまったんだろうか?


わたしたちは助け合ってきたはずだったのに、やっぱりわたしばっかりが助けられていたのでしょう。どうして、牡蠣にあたって苦しくて助けてって言えたのに、命を絶つほどのなにかを抱え込んで、そのひとことがいえなかったのでしょうか。

 

わたしが自分のことでいっぱいいっぱいだったとき、彼はわたしのことを考え頼ろうとしてくれていたかもしれない。わたしたちは遠く離れて暮らして、過ごした時間さえも手放してしまっていたのでしょうか。


「俺は幸せを増やせる人間じゃないから、不幸を減らせるように頑張りたい」って言ってたくせに、あなたのような誠実な人間と出会えたしあわせと、あなたを失ったふしあわせを抱えて生きろというんですか。そういうネガティヴ気味で格好つけなこというとこが嫌いだった。嫌いなまんま卒業してたら、いまこんなに辛くなかったかな。

 

彼とのLINEを読み返しました。あまりにもありきたりな会話が並び、実感はますます薄らぐ中で、4月に彼の新しい住所と、「もし俺が安否確認がとれなくなったら頼む」とありました。身体弱いからって大袈裟な、って思って、いまのいままで忘れてました。年賀状のための住所が、本当は遺書のためだったと気付けたら、わたしにできることはあったんだろうか。わたしがツイッターを確認してたら、大学の頃のように毎日のように顔を合わせられてたら、彼の助けになれたんだろうか。どうして彼は、死んでしまったんだろう。


去年の誕生日、わたしの家庭の事情をなんとなく分かっている彼が「生まれてきてくれてありがとう」と手紙に書いて送ってくれました。わたしにも言わせて欲しい。お願いだから言わせて欲しい、面と向かって、ちゃんと言いたい。言ってから、くっさい台詞って、照れ笑い浮かべたい。当たり前のことだったでしょ?昨日まで、できたことのはずでしょう?


誠実で優しくて面倒見が良くて、ロマンチストで見ててちょっと恥ずかしい、頑固だから時々いらっとするけど、でも総合的にみてどう考えたっていい奴でした。幸せを届けられる人でした。それがわたしの大好きな友達でした。

 

 

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