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わたしのコンプレックスは「両親の離婚」でした

 

こんにちは。迷走系ライターのもぐら(@robotenglish)です。

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みなさん、コンプレックスってそれぞれあるかと思います。
わたしの場合は一重瞼で、運動神経が悪くて、足が短くて……身体的なものをあげたらきりがありません。
でも本当に重大なのは、心のコンプレックです。

 

 

▼目次

わたしのコンプレックス=離婚

わたしの重大なコンプレックスは「親が離婚している」こと。

 

なんだか、恥ずかしくて、悪いことだとおもっていました。

一重がいやでアイプチでむりやり二重にしてしまうように、わたしはずっと取り繕って生きてきました。

 

言えなかった小学生時代 

 

いまでも覚えています。
小学校2年生の時の放課後、先生がわたしを呼びとめて聞きました。

 

最近、家の方はどうだ?」と。

 

その瞬間、わたしの体はぴきっと固くなって、熱がほっぺのてっぺんから足先まで、ものすごいはやさで伝わるのを感じました。

 

先生に適当なことを言って、わたしはすぐさま教室を駆けだしました。

 

先生は、わたしの親が離婚したことを知っていて、わたしを心配してくれているんだと分かっていました。
けれど、私の隣には友達が立っていて、その子に知られてしまったらどうしよう、と瞬時に恐れを抱いたのです。

 

小学生の間、わたしが誰かに自分の家庭のことを話すことはありませんでした。
幸い、離婚を機にわたしは引っ越しをしていたので、自分が黙っていれば、誰かに伝わる恐れはありませんでした。

 

辛かった中学生時代

 

中学生の授業参観のとき、友達の誰かがわたしに言いました。


もぐちゃんって、お母さんに似ていないよね

 

わたしは笑いながら答えました。
「そうなのー、ていうか、お父さんにもあんまり似ていなくってさーお父さん二重出し、わたしも二重がよかったー」

なんとか冗談めかして話をそらしましたが、こころはひどく傷んでいました。

 

まだ、自分の親が離婚していることは恥ずかしいことであるという意識は消えずに、また再婚してできた新しいお母さんとは勿論血がつながっていないとは誰にも言えないままでした。

しかし、家のなかでは家の中で、辛いことが何度となくあって、誰かに相談したかったけれど、吐き出したかったけれど、打ち明けるのが怖くて…

 

ちいさな部屋に閉じ込めらる事を余儀なくされているような気分でした。

 

大事にしまっていた高校生時代

 

高校生になって、親友と呼びたいひとが何人かできました。
親友たちの人柄に触れて感激をおぼえたとき、わたしは決まって、自分のコンプレックスを打ち明けたくなりました。

 

そして、何人かに話しました。
10年以上の間、胸にひめていた思いは、うまく言葉にできず、つっかえ、嗚咽が漏れ、めちゃくちゃな文脈だったと思います。
それでも耳を傾けてくれました。

 

話し終えたあとの反応はそれぞれ。
わたしは思いました。

やっと打ち明けられた。でも、わたしがしたかったのは、本当にこれだっけ?

 

大学にはいって変わったこと

 

大学生になりました。
わたしは哲学を専攻していたので、人生の命題について議論をする場をたくさん持ちました。

 

そこではみんな、自分の経験や価値観を持ちよりながらも、なんとか論理的に語ろうと努めます。

わたしも「親が離婚をしているんですけど」ということで何度も意見をすることがありました。
いつも冷静に話そうと意識した結果か、だんだんとその話をすることになれてきました。

 

そして、気づきました。

あれ、このコンプレックス、実はたいしたことなかったかも?

 

「たいしたことない」と知ったらずっと生きやすい

 

わたしは、確かに傷ついて、いまも「離婚」のふた文字に翻弄され悩んでいます。

でも、世間的には離婚ってたいしたことないのです。

 

私自身の問題として、重要なことではありましが、離婚そのものはどうってことない。

隠す必要も、誰かとの親交のしるしに打ち明ける価値のあるものでもない。


大したことない。

 

そう気づいたとき、肩の荷が下りたようでした。

 

いまでは、なんのためらいもなく「実は離婚してて」と話せます。深いところに話が及ぶと、辛くなることもあるけれど、それはわたしの内側の問題。外から見れば、そのコンプレックスはどうってことなかったのです。

 

だからこそ、外に向けることで、内側にももっと冷静な目を向けることができるのではないか。

 

いままで「離婚」のふた文字から逃げてきましたが、最近だと積極的に同じような境遇のひとの話を聞きたいと思っています。
それによって内側によい影響を与えられるかもしれない。

 

コンプレックスをさらけだすことで、それ自体は絶対悪ではなく、それをコンプレックスとみなす自分のこころと対峙できるのだと気付きました。

 

「知られたくない」、「吐きだしてしまいたい」そういうふうに自分のなかでぐつぐつと思いをたぎらせるより、「たいしたことないもん~」と、余裕綽々でいたほうが、ずっと、ずっと生きやすい。

 

 

 

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