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【こんなわたしは友達がいない?】友達と喧嘩したことがないです

こんにちは、フリーライターのもぐらのぞみ(@robotenglish)です。
 

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「友達」。
熱い友情を交わしている相手であれば、時にはぶつかることだって……あるって聞くのですが、わたしは友達と喧嘩したことがない。
これって、どうなの?

 

▽友達と喧嘩することについて考えてみた

 

わたしは友達と喧嘩したことがない

思い返せば、生まれてから今日までの人生23年間、ともだちと喧嘩したためしがありません。
 
普段だと気が強く、意見の主張もはっきりしているのですが(あと議論の場でも大丈夫です)
険悪な空気・仲たがいしそうになると
それが怖いのか、そこから一歩踏み出せずに
身を引いてしまって、そのまま「よくわからない状態」で関係がなくなってしまった友人が何人もいます。
 
しかも、親しい友達のほうが、離れてしまいがちです。
親しいからこそ、否定されるのが怖くて、自分の気持ちを伝えて関係が壊れるのが怖くて、予防線をひいたそのままに距離をどんどんおいてしまいます。
 
かなしいしさびしいことです。
でもどうしても、その、相手に踏み込んで、自分をぶつける、ということができません。
 

喧嘩したことのないわたしは「本当の友達」がいない?

 
「喧嘩してから、仲直りして、よりいっそう絆が深まる」というのに憧れていました。
そういう友達がほしくて、
そういう友達がいない自分は「本当の友達」がいないのではないか、と中学三年生くらいのときは気に病んでいました。
 
そもそも「本当の友達」ってなに?といのは、答えが千差万別の難しい問いだと思うのですが、
「なんでも言い合える」「喧嘩しても仲直りする(話しあってわかりあえる)」というのは
そのなかのひとつではあると思うのです。
 
そういう友達に強い憧れを抱いています。
 

友達はなぜ必要か

家族は、生まれてから自分で生きる術を身につけるまでのセーフティーネットです。
そして、会社や部活動での人間関係は、他者を尊敬すること、誰かに教えをこうことを学ぶ場だと考えています。
 
では、友達はなんでしょう。
友達は、多様性に触れ合う機会を恵んでくれる存在ではないでしょうか。
 
わたしの友達、とひとくくりにいっても、そのなかでも色んな人がいます。
 
その人々のなかで、色んなことを語り合って、ぶつかりあって、でも友達だから理解し合うために歩み寄って自分もさらけ出して、そうやって多様性、自分と違う価値観を受け入れていくのではないのかな。
 
その過程で、相手とのぶつかり合いの境界に、自分という存在の外枠がわかって、自分の自我・価値観に気づいていくもの。
 
それができてない自分。
それが時々、ものすごくちっぽけでしょうがない人間に思えてなりません。
 

死ぬまでに大喧嘩をしてみたい

 
今回、改めて思いました。
 
「人生で一度でもいいから、大喧嘩をしてみたい」
 
AKIRAの金田と鉄雄みたいな、BLEACHの一護と雨竜みたいな(ちょっと違う?)
 
▽人生でやりたいことリスト

喧嘩ってわるいことばかりじゃない

 
日本女子大学を変えた、平成のチェ・ゲバラこと、まさぞうさんがブログ記事でこどもの喧嘩をとめない、と書いていました。
 
 
喧嘩って、言葉としては良くない行為にとらえられがちですが、わたしはそれに憧れているし、人生を豊かにするひとつだと思っています。
 
ぶつかって、理解し合って、元通り。でも、実は、お互いにちょっと成長してる、より相手のことを知れている。
喧嘩でときに関係を失うこともあると思いますが、ふたりが相手のことを大事に思っていれば、関係を進めるいい機会にもなるはず。
 
ああ、やっぱり、喧嘩してみたい。
 
 
 
 
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