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私はクラゲになりたい。

迷走系ブロガーの方向性ぶれぶれブログ

「苦しい」の一言を言いたい、言えない

もぐらのぞみ 人生 離婚

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このたった一言を言うのがどうしてこんなに難しいのかな。
「苦しい」
 

苦しいが言えなくて苦しい

 
「感情表現豊か」。
昔からともだちにそう言われてきました。
 
大声で笑うし、泣くときはぼろっぼろ涙をこぼす。頑固で、議論の場になると積極的に発言。
 
でも、言えない。
「苦しい」が言えない。
 
「たのしい」「うれしい」「しあわせ」「かなしい」「さびしい」…その全部を真っすぐ届けることは可能なのに、
「苦しい」というマイナスの強い感情だけはどうしても取り出すことができない。
 

両親に反論したことがない、自分を押し殺していた

 
わたしは一度だって両親に反論したことがありません。
 
わたしの両親は、とても寛容で、言ってしまえば放任主義で、すきなようにしてくれたので、決して両親の思うがままに生きてきた、というわけではないのですが、
 
両親の罵声や、非難、中傷には、一度だって反論したことがありません。
 
子どもだったわたしは、それを受け止め、受け流し、なんとか自分を押し殺すことで
こころを保つのに精一杯でした。
 
そうしてずっとやってきたので、両親だけではなく、人にどう反論するか分かりません。
わたしは、人に反論する、そして喧嘩になる、ということが極端に苦手です。
 

感情的な場面で自分の気持ちをうまく伝えられない

 
その、押し殺していた影響で、感情的な場面で自分の気持ちをうまく表現することができません。
 
反論する、喧嘩する、さらに、「苦しい」「辛い」「死にたい」など、ぎりぎりまで感情のメーターがあがったときの気持ちも言葉にして表わすことができないのです。
 
もどかしい気分を何度も味わいました。
わたしが気持ちをうまく伝えられないせいで、わたしの感情がマイナスにいっていることが分かっている相手に、その理由・いまの状況を伝えられずに、不快に思わせてしまったこともあるでしょう。
 
いままでの人生で、そういう場面は多々あり、そのたびに自分のためにも相手のためにもなんとかしたいという思いはありながら、それが解決に至ったためしはないのです。
 

苦しいと声がでなくなる

 
わたしは、マイナスの感情がぶわっと自分の胸で膨らむと、まず涙が出て、その次に声が出なくなります。
 
喉が焼けているように痛くなって、首が締め付けられている感覚になるのです。
 
「苦しい」「辛い」「死にたい」
胸に渦巻く感情が、せりあがるのは分かるのに、押しつぶされた喉から言葉がでません。
 
苦しいうえに、言葉にして言えないことも苦しくてたまらなくなります。
 

苦しいと言葉が見つからない

 
胸にはたくさんのどす黒い感情が溜まって、頭ではものすごいスピードで言葉が走っています。
普段からおしゃべりだけど、もっともっと饒舌に、まくしたてるように自分を責め、他人を責め、負の連鎖のように喋り続けています。
 
でも、そのどれも、うまく言えないけど「自分の言葉」じゃない気がするんです。
 
頭で言葉をかけ巡らせるのは、自分を物語って保つための手段で、本当に言いたいことはそれではない、という気がするんです。
 
「苦しい」そのひとことで足りるような、そのひとことでは言い表せないような、そんな言葉が他にある気がして、もどかしさが拍車となり、頭のなかでは気持ち悪いくらいおしゃべりがつづきますが、そのどれも、音となって喉を通りぬけることがありません。
 
 

そのくせ世間話をする自分が嫌いで堪らない

 
でも、おかしなことに、ほかのことは話せてしまうのです。
 
表情をコントロールすることが苦手なので、顔を合わせることはできませんが、
泣いたまんま、苦しいまんま、他人に背を向けて「きょうのご飯はなんですか?」「お仕事は順調ですか?」なんて
気の抜けるような話ができちゃいます。
 
自分で自分を疑います。
そういう自分はすごく気持ち悪いし、大嫌い。
 
でも、そうしてしまうんです。
そんな世間話なんかしている余裕ないほど、こころは汚いもので埋まっているのに、馬鹿みたいに呑気なことを口に出しているんです。
 
そんなことをしているから、他の人に分かってもらえないし、それがわたしにとっての深刻な悩みであることも伝わりません。
当然です。
だって、どうみたって「わたしは全然大丈夫」なんですから。
 

苦しいと言えないから「理解できない」と呆れられてしまう

 
たいていは、人前では呑気なまんまで、ひとりの部屋まで持って帰ってなんとかします。しかし、大学の頃、わたしは彼の家に転がり込んでいたので、ひとりで消化する空間がありませんでした。
 
彼から見れば、わたしはいつも突発的に感情が溢れだしているように見えていたので、驚かれました。
「どうしたの」と。
 
でも、もうその時点では、胸も頭もいっぱいいっぱい、だけど言葉がみつからない、という状態で、なにも言えません。
 
そうしているうちに呆れられてしまいます。
「なにも言ってくれないと分かんないじゃん」と。
 
言いたい言いたい言いたい言いたい言いたい言いたい。
頭の中ではその気持ちがちゃんとあるのに、やっぱり言葉にして言えない。
 
気持ちを言葉にするだけで関係をこじらせることはなくなるのに、そんな簡単なことができない自分に失望して、彼だってわたしに失望しているんだろうな、と思うと、さらに言うべき言葉を失ってしまう、という悪循環の沼にはまってしまいます。

みんなは苦しさをどう処理しているのだろう?

 
みんなは、苦しさをどう処理しているのでしょう?
 
うまく共有できる気がしなかったので、いままで、自分が苦しいときにどんな状態になっているか言葉にしたことはなかったのですが、これに共感してくれる人はいるのでしょうか?
 
結局わたしは、言葉にできない膨大な言葉を抱え込んで、ひとりで部屋で泣いて疲れて寝る、というのが常です。
完全な不完全燃焼です。
 
朝起きて、「気持ちすっきり!今日から新しい1日だ~」とはとても思えません。
 
確かに、泣いて寝る、というのは、有効です。
わたしを明日に繋げてくれます。
 
でも、私は夢見がちである故か、やっぱり「誰かに寄り添われてこころを癒す」ということへの憧れを捨てきれません。
 

「誰かに理解される」そんな日を

 
ときどき、未来がとても暗いものに思えます。
家族で問題を抱えたから、誰かほかにわたしを愛してくれる人が表れたら、この苦しさも理解してくれて、全部解決するって淡い幻想を抱いて、学生時代を過ごしてきました。でも、わたしにはだいすきな、そしてわたしをだいすきだといってくれる友人にも恋人にも出会う機会に恵まれましたが、いまのわたしは昔のわたしと変わらず、同じように苦しさを自分の内側に抱え込んで悶えています。カウンセラーの先生に相談しても、それは変わりませんでした。
 
いつか変化するんでしょうか。
たかだか23年しか生きてなくて、こんなこというべきではないかもしれませんが、この先も変わらないような気がしてなりません。それを思うと憂鬱です。
 
そう、頭のどこかで思いながらも、長年持ち続けた憧れを捨てるというのは難しいものです。
 
わたしは人の出会いに期待しすぎていたのでしょうか。「苦しい」といえる相手に出会えると期待せずに、「苦しい」といえる人間になれるようにならないといけないのでしょうか。
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