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私はクラゲになりたい。

迷走系ブロガーの方向性ぶれぶれブログ

自傷行為はなににもならず、絶望を知っても、とりあえず生きられる。

もぐらのぞみ 人生 家族 恋愛

こんにちは、人生迷走系ブロガーのもぐらのぞみ(@robotenglish)です。

 

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今日はよく晴れた気持ちのいい日でした。こんな日を生きていると、自傷行為をしたことも、絶望を知ったときのことも嘘みたいに思える。

 ▽目次

 

高校生のとき、最初で最後のリストカットをした

高校二年生のときに、最初で最後のリストカットをしました。
最後かは、まだ分からないけれど、今後やりたいとは全く思っていません。

 

いつもはお母さん(二番目のお母さん、わたしとの血縁関係はない)の言葉に傷ついていましたが、そのときは、お父さんの言葉に傷つき衝動的に起こした行動だったと思います。

 

でもなんて言われたかは全く思いだせません。

ただ、お風呂場で泣きながら剃刀を持っていました。

 

リストカットはなんの意味にもならなかった

頭では「死にたい」と繰り返していても、そのときのわたしは決して冷静ではなかっただろうし、「死にたい」ではなく「死のう」と思ってしたリストカットではありませんでした。

 

リストカットの目的も「自分のこころの傷を可視化する」「血をみて気分を落ち着かせる」ためであると考えていたので、そのときの辛さが紛らわせるんじゃないかと期待してやりました。

 

リストカットの目的はあくまでわたしが思うものです。勿論、他の意味合いで行う人もいると思います。また、その目的がリストカットによって達成されるとは考えていません、わたしはリストカットという行為それ自体を奨励するために記事を書くことはしません)

 

でも、期待していた「落ちつき」だとか「肯定感」「満足感」は得られず、ただますます涙が溢れるばかりでした。

 

もともと注射でも号泣するほど、痛いのが苦手。映画を選ぶ基準に「血がでないか」があるくらい血が嫌いでもあります。
そういうこともあってリストカットはわたしになんの意味も与えてくれませんでした。

 

理解されない苛立ちが破壊衝動になった

それからも辛いことはたびたび、というか何度もあって、それをなんとかやり過ごして年を重ねてきました。

 

大学生の頃に、積もり積もったものが爆発しそうになった時期がありました。4年生のことです。

 

感情の乱れが激しくなって、夜中にしょっちゅう泣きだしました。
苛立ち、理解されない悲しさ、そういうものが混ざり合ってわたしは初めて「壊したい」と思いました。破壊衝動に駆られたのです。

 

でも、小心者の自分がストップをかけてか、ティッシュ箱くらしか壊せませんでした(笑)

 

そんなちっぽけな自分、というものもまたストレスに変わり、矛先は自分へ。

左腕を執拗に殴る、つまむ、引っ掻く、という行為が沁みつきだしました。

 

怒りを暴力にして発散して、さらにこころの傷が可視化されることで、「苦しい」と言えないもどかしさも報われたような気がしました。それが健全だったとも、最適だったとも、1ミリも思いません。でも、あのときのわたしが自分にしてあげられることの精一杯であったことは確かです。

 

わたしの傷なんてなににもならなかった

でも、わたしの恋人は、家に帰ってきて、泣きながら左腕を真っ青にしているわたしを見ると、なにも言わずに、わたしの袖を引っ張って隠しました。

 

わたしの傷なんて、わたしの痛みなんて、目を背けたくなるような、不快なものでしたないんだと思いました。

 

そのとき、彼との会話で、わたしはひとつの結論にも達していました。

ずっと理解されない苦しさを、理解してくれない相手にぶつけようと必死になっていたわたしでした。「なんで、わたしの気持ちを分かってくれないの!」と責める気持ちがいつも真っ先にありました。

 

だけど、悪いのは、いま状況を悪くしているのは、わたしが理解されないような人間だからいけないんだと気づいてしまったのです。

 

「あ、わたしがわたしであるから、いけないんだ」と。

その瞬間、目の前が真っ暗になりました。

 

絶望ってあるんだって知った

真っ暗のなかに絶望の文字が浮かび上がってました。

比喩じゃなくて、本当にそうでした。

 

絶望を知ったけど、とりあえずわたしは生きてる

過去の経験をつづろうと思っただけなので、オチはないです…(だめだめブロガー…)

というか、いまはまだオチがつけられない、途中経過ですね。
この先、どうなるか分かりません。

 

自傷行為を経て得た気持ちは、いまのわたしにとってただただ辛い記憶なだけですが、いつか自分にとっての財産になるかもしれない。そうなればいいな、と思って生きています。

 

生きてるから、同じような経験の人とも会える

もしくは、同じように悲しい経験をした人と、こうやって書くことで分かち合えれば、すこしは報われるかもしれません。

 

自傷行為が心地よいと思ったときもありました。

でも、そのときの自分は自分がすきな自分ではありませんでした。なので、決して、決して、決して、奨励しません。もし、したいときは、その前に、言葉にしてみるとか、もっとほかの自分の体以外を傷つけるとかしてみてください。

 

…といいつつ、わたしはそれができずに、結果、自分の体にはしったので、そういう人は……一緒にのんびりしましょう!いまの状態から距離を置きましょう!

わたしはコミュニティースペース「まるも」というところにいます。来てください。交通費かかちゃうけど、来てください。

 

 

わたしは専門家ではないし、自分でもこの経験を持てあましてるし、メンタルも強くないし、人生経験が豊富でもありませんが……一緒にぼーっとはできます。

 

なににもならないかもしれないけど、なににもならないのは、いままでと一緒!
それなら遠足気分で、1日だけ、千葉県の田舎・金谷にある「まるも」にきたってマイナスにはならないのでは!?

 

補足:いまは全く自傷行為してません。

 

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