友人の死を経験したいまなお、死への実感が湧かない。

オピニオン
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こんにちは、人生迷走系ブロガーののんちゃんこと野里和花(@robotenglish)です。

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先週、おばあちゃんが入院したとの連絡がありました。心臓が弱っていて、手術が必要なようです。
きょうは「死」について考えてみました。

おばあちゃんが入院しました。

先日、突然、叔母から連絡がはいりました。

わたしのおばあちゃんが入院したそうです。

最近、すこし歩くだけで胸のあたりに痛みを感じていたそう。
一応、病院へいったところ、すぐに設備の整った市立大学へ行くようにいわれ、救急車で運ばれ、心臓にペースメーカーをうめこむ手術をすることが決定されたと聞きました。

それを聞いても、よく分からない。

おばあちゃんとわたし。

わたしは、いま、千葉県富津市金谷という田舎へ移住し、そこで仕事も行っています。
ここに来る前に住んでいたのがおばあちゃんの家でした。

セブ島留学を終えて、ライターを目指して上京し、お金のないわたしを居候させてくれていました。
たんに部屋を使わせてくれただけじゃなく、美味しいご飯もつくってくれて、わたしが1日バイトへ行くときは、毎朝おにぎりを握ってくれました。

目が悪くって、おにぎり用の明太子ふりかけと、明太子パスタをつくるためのパウダーを間違って買ってきたり、SMAPがだいすきでゴローちゃんが逮捕されたとき1日中泣崩れたり、わたしが金谷から帰るととびきり美味しいご飯と、太陽の匂いのするふかふかのお布団を用意してくれていたおばあちゃん。

わたしが新しいスタートを始めて4ヶ月間を過ごした家に、いま帰っても、韓国ドラマのテレビの音も、SMAPメンバーが出演しているドラマの最新話も、編みかけの毛糸の玉も、ないんだなと思うとこころが冷える思いです。

おばあちゃんは、わたしの母方の祖母です。
厳密には、わたしを産んだお母さんのお母さん、ということになります。

なので、両親が離婚し、父親に引き取られたわたしは、6歳から18歳までの間、2~3回くらいしかおばあちゃんに会うことがありませんでした。
そういうこともあって、おばあちゃんは大変わたしのことを可愛がってくれました(考えれば、わたしを含めた5人の孫、みんな大事にしてくれていたように思うので、情が深い人です)。

両親にも、親族にも、なんだか居心地の悪さを感じてしまうわたしですが、おばあちゃんだけは別でした。
おばあちゃんとふたり暮らしをした4ヶ月間、これといって特別ななにかはなかったものの、平穏のある日々でした。

死への実感が湧きません。

いつも元気に動き回り、麻雀をうち、SMAPや、最近では嵐の相葉くんに夢中になっていたばあちゃん。
でも、もう70歳を超えていて、いつなにが起こってもおかしくない状態で。

それは分かっていても、なかなか実感は湧きません。
自分のそばにいる人は、これからもずっといるものだと思えてしまって、正直、「入院した」との連絡があってもなにがなんだか理解できませんでした。

「死」ってなんでしょうか。
いつか死ぬ、おばあちゃんだっていつか死ぬ。そんなの当たり前のこと、と思っているのに、わたしの頭は、そのいつかに具体的な数字を当てはめることをしようとはしません。

「失ってから気づく」って本当のことでした。(それでも死への実感はあまりない)

失ってからしか、人の命の儚さ、不確かさを感じ入ることはできないものでしょうか。

わたしは、去年の12月に大切な友人を亡くしました。
枯れるほど泣いて、いまも、時々、ふっと彼がもうここにいないという事実を、もう会いたくても会えない残酷さを思い出してしまって、泣いてしまうこともあって、でも普段の生活のなかにいると、彼がもういない存在であることを忘れます。

彼の葬儀に出席した2日後に、わたしは、彼と長い時間を過ごした大学へ足を運びました。
わたしが学生だったころと変わらずに、たくさんの人が行き来している空間に立つと、人混みのなかに彼の姿を探していました。
彼と(わたしが一方的に喧嘩腰で)議論したゼミ室からは、1年前と変わらずに、イチョウの木のくすんだ黄緑色が窓いっぱいに見えて、わたしのかつての指定席に座ってそれを眺めていると、いまにも扉が音を立てて開かれて、紺のジャケットにベレー帽をかぶった彼が、ゼミ室にはいってくるように思えました。

2日前に、わたしは彼の白くなった顔を、ちいさく棺におさまった姿を確かに見たのに、それは、日常に戻ると、どう考えたって非日常でした。

今月にはいってから、わたしの毎日は有り難いことにやることに溢れていて、新しい出会いと仕事に恵まれています。

おばあちゃんの部屋へ身を寄せた当初は、やることがなく、やるべきことも分からずにいたので、いまの環境のなかにいれることはとても幸せです。

同じく、11月も、新しい仲間に囲まれて、刺激的な時間を送り、ものすごい速さで日々を過ごしていました。その矢先に、彼の訃報はやってきました。
悔やんで自分を責めました。もっと余裕ある日々を送れていたのなら、彼がだしていたSOSにも気付けて、もしかしたらこんなわたしでも彼を救うことができたかもしれないのに。

わたしは彼が苦しんでいたことなんて、ちっとも知らず、すこしも想像することなく、ただ突然の知らせに呆然とするばかりでした。

また、あのときと同じように、毎日のめまぐるしさに追われて、自分との近しい関係をないがしろにしたまま、気づいたら取り返しのつかないことになっているのではないか。
そう思って初めて、ばあちゃんの死が目前に迫ったように感じました。

もうあんな苦しい思いは二度としたくない、それは当然あるのに、うまくできない自分が嫌いだ。成長したいな、ってそればっかり思って、思うばっかりで情けない。

今日予定されていた手術は、喉に通した管から感染症にかかって発熱したために来週へ延期となりました。
思ったより元気な姿をしていますが、心臓にペースメーカーをうめこむ手術がどれほどのもので、高齢であるおばあちゃんにそれを耐えられる体力があるのかも、わたしには判断がつきません。

ただ、元気になって、ふたりで食卓を囲み、バラエティ番組を見ながら食事をする日がくることを願っています。

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