これが人生なんだ、と誰かが言った。

オピニオン
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お酒を飲めるようになって、もう随分経つが、いまだに大人であることにだけは慣れない。寂しさや誰かがいないことには、すぐに慣れてしまうのにどうしてだろう。一瞬強くこころが揺さぶられて、忘れたくないと願うのに、感情は最も簡単に平穏に親しんでしまう。それがいま、わたしが一番怖くて悲しいこと。

フィリピンの語学学校で生活を始めて気づけばもう5週目。毎週のように初めましてと挨拶を交わす人がいて、毎週誰かがここを去っている。それに伴う感情は、もうこの学校に染み付いているもので、その刹那さに、わたしたちは「特別」を見出し、愛しさを重ねているのだろう。寂しい、でも、なんてことない。そういうものだ。きっと誰しもそう思っている。しかし、わたしは今週の終わりを迎えるのが怖くてたまらなかった。寂しい、でもなんてことないという顔をして、過ごす自信が湧かなかった。ここに来てからの生活は目紛しい。最初は慣れることが精一杯だったのに、慣れてしまえば歯止めが効かなくなったように猛スピードで駆けていく。怖いと思っていても、構うもんかと、わたしのだいすきひとたちの卒業式とお別れパーティーは、ぎゅっと詰まった思い出だけ残して、一瞬で消えた。別れを惜しむというよりも、今日は金曜日で、明日は休みだという弾けた気持ちがそこにはあって、サンミゲルライトの瓶は次々と空になった。思い出を振り返ったりしない。上は31から下は20まで、年齢も国籍もそんなの知らなくて、ただはしゃいでいた。そんななかでわたしは人一倍泣いていた。悲しいんだか寂しいんだか分からないけど涙が止まらず、代わりばんこで誰かが頭を撫でたり手を握ったり、ほっぺを抓りにきてくれた。

ぐずぐずと泣きながら歩いた学校までの帰り道。その日の主役のひとりで、明後日には1年間の旅に出てしまうその人は、さっきまでわたしに負けないくらい泣いていたくせに、もう涙はみせていなかった。「1年間なんて長すぎます」としつこく訴えるわたしに、「すぐだから、ちゃんと生きて帰ってきて、また会えるから」と、何度も何度も繰り返した。

翌日、その人は前日のテキーラによって、そんなことはすっかり忘れていて、「こんな大人になりたくねえ!」とわたしが叫ぶと笑っていた。

土曜日の朝の学校はとても静かだ。いつも混雑している喫煙所も、今日は誰も近寄らず、外へと出掛ける生徒の姿を、何人か見送った。「30歳になったとき、なにかが変わりましたか?」口髭と煙草とピンクの短パンのよく似合うその人は、わたしの問い掛けに思わぬ返事を返した。「30歳になったその日に日本を離れたから」驚きの声が漏れた。そのロマンチストさは口髭にも煙草にも、もちろんピンクの短パンにも全く似合わなかった。

30歳からの1年間を、海外で過ごすと決めたのはもう3年も前のことだという。日本を離れてからは4ヶ月、ここで過ごした時間は1ヶ月。人生の体感時間は、20歳で折り返しを迎えるらしい。わたしよりも長い間、早い時間の流れに身を置いていたその人は、いまは違う時間の中にいて、日本で働いていた頃と、海外で過ごしてきた4ヶ月間は、全く別物だと言った。

世界一周の途中で、ここに1ヶ月間滞在することは当初、彼の予定にはないことだった。アジアを周る途中に出会った青年が、彼をここに来させた。世界一周の予定は、あってないようなものらしく、1年が2年に伸びるかもしれないとも言っていた。旅先での出会いで自分の人生を転がすことができる身軽さ、それがわたしの目には大人の余裕に映る。学校で目にする彼は、人当たりも面倒見も良くて、いつも小さな顔いっぱいに口をにーっと伸ばして笑っていた。そんなふうに旅先でも、人懐っこい笑顔でたくさんの交流をもっているのだろうと思っていたが、意外にも彼は自分のことを人見知りだ、と言った。そしてときどき、上手く表現ができずしんどいことがある、と。「言いたいことは言っておかなきゃ、って分かってるけど。でも、気持ちは、言葉にだしてしまうとそれは別物に変わってしまっているから言えないことがあって」その言葉はすとんとわたしの胸に落ちた。「分かります」と言いたくなった。しかし口を噤んだ。彼の言う通り、「分かります」という言葉だけでは、すとんと落ちた、この感覚を伝えるにはあまりにも足りず、でもそれ以上はあまりに多く、結局わたしはただ黙って話を聞いていた。

頭の中ではいつも物凄い数の言葉が渦巻いているのに、わたしの口から漏れるのはほんの僅か。日常生活に、もどかしく思う場面がたくさんある。理解を求めて、伝えようと頑張ることはときに過酷で、わたしはそれを最近諦めてしまっていた。「でも言わなきゃ、分かって欲しいなら言わなきゃ分からないよ」そうなんです、それは分かっているけれど、ときどき、言わなくても分かってくれる人が突然現れてくれたらいいのにって甘えた考えがあって。「そういう人は勿論いるよ。頭の中で考えてるいろんなものも、いつか言えるようになる日は来ると思う」その言葉を、まだわたしは完全に信じることができない。いつかその日がきたら、彼が言ったことを思い出すだろうか。

彼は自分のことを話す途中に、何度か「浅はかな考えだったんだけど」と卑下していた。人生の分岐点での選択の根拠が、浅はかなものであったと。わたしはその言葉に心地よさを覚えた。わたしも人生の分岐点に、確固たる自分の意思が存在したという確証はもてないまま今日まできて、ここで英語を学んでいる理由だって、すごくシンプルで、他の人には眉を顰められるか、笑われるようなものだ。「どうして英語を学びたいと思ったのか」という質問は、ここでの繰り返される出会いの中で、最早使い古されたものだ。わたし自身、ともだちへ投げ掛けることがある。ワーキングホリデーのため、世界一周に行くから、自分の仕事のスキルアップがしたかったーーー周りの大層な返答を受けるたびに、自分で聞いておきながら、狼狽えることも屡々。「あなたは?」と聞き返されると更に後ろめたさを覚える。彼は「浅はかな考え」によってしてきた選択を重ねて、いまここに居て、わたしと話していた。煙草の香りと、ココナッツの木の葉擦れの音、風がつくるプールの波紋、警備員さんのラジオから流れる知らない洋楽。いいじゃん、と思った。大層な理由を見付けられずとも、自分の選択に胸を張れずとも、ときに他人の人生のレールと自分のそれを比較してしまっても、いいじゃん、最高じゃん。その時々の自分の気持ちに選択を委ねて、後々それを浅はかであったと自分で笑おうとも、その先にここがあって、彼という人がいるなら、もうそれは最善だったと思っては駄目だろうか。たった1ヶ月。たった1ヶ月間の彼しか知る由のないわたしは、ただただ若かりし頃の彼が選んだ道の結果だけを見て、利己心から、肯定する気持ちしか芽生えなかった。

土曜日の朝の学校はとても静かだ。いつも混雑している喫煙所も、今日は誰も近寄らず、外へと出掛ける生徒の姿を、何人か見送った。明日の昼には、同じように、けれど大きな寂しさを携えて、わたしたちは彼を見送らねばならない。「30歳で、仕事も辞めて、これから先どうなるか分からない不安を感じる日もある」わたしよりもうんと大人なその人はわたしと同じ不安を抱えているように思えて、しかし本当のところは分からない。その言葉がどれだけ彼の不安を表現しているのか彼以外の誰にも計り知ることなどできないだろう。彼はこうも言っていた。「自分のこと分かってほしいって思うから、他人の話も聞いてあげたい、分かってあげたいって思える」それはまさに彼の立ち振る舞いそのもののように思えた。わたしも、同じように出来たらいいなと思った。思ったけれど、わたしたちの1ヶ月は、明日、終わってしまう。

口髭は元より、煙草もピンクの短パンも、酔っ払って地べたに寝転んじゃうところも、真似なんてしたくない。でも彼のような、自分の気持ちに実直な大人になりたい。いまはまだ気恥ずかしくて言えないけれど、1年後か2年後か、日本で再会できたなら、素直に言うことができるだろうか。「あなたみたいになりたい」と言ったら、「こんな大人になりたくねえ!」と叫んだときみたいに、口を大きく広げてにーっと笑い返して欲しい。

土曜日の朝の学校はとても静かだ。いつも混雑している喫煙所も、今日は誰も近寄らず、外へと出掛ける生徒の姿を、何人か見送った。明日の昼には、同じように、けれど大きな寂しさを携えて、わたしたちは彼を見送らねばならない。彼がわたし言った「また会えるから」という言葉はテキーラによってわたしだけのものになってしまったけれど、それが叶えばそれだけで満足だ。金曜日の夜、別れが辛くて泣いたわたしに、そういえば誰かが言っていた。「これが人生なんだ」と。

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