こんにちは。フリーライターののんちゃんこと野里和花(@robotenglish)です。
みなさん、コンプレックスってそれぞれあるかと思います。
わたしの場合は一重瞼で、運動神経が悪くて、足が短くて……身体的なものをあげたらきりがありません。
でも本当に重大で、きちんと向き合うべきなのは、心のコンプレックスです。
わたしにとってそれは両親の離婚でした。
- 両親が離婚したことに対して恥ずかしさを感じている
- 自分の心のコンプレックスを隠して生きている
- 自分の辛いことを人に打ち明けられずに悩んでいる
そんなあなたに向けて、ずっと両親の離婚を隠して生きてきたわたしが、どうやって心のコンプレックスを克服したか、お話ししようと思います。
コンプレックスは両親の離婚だった
わたしの重大な心のコンプレックスは「親が離婚している」ことでした。
いまや「3組に1組が離婚している」といわれている時代で、離婚に対して、別段変わったことという印象はないですよね。ですが当時は、まだ小さく、周りと離婚のこと・家族のことを話す機会もなく、なんだか、恥ずかしくて、悪いことだとおもっていました。
一重がいやでアイプチでむりやり二重にしてしまうように、わたしはずっと取り繕って生きてきました。
離婚のことを誰にも言えなかった小学生時代
いまでも覚えています。
小学校2年生の時の放課後、先生が廊下でわたしを呼びとめて聞きました。
「最近、家の方はどうだ?」と。
その瞬間、わたしの体はぴきっと固くなって、熱がほっぺのてっぺんから足先まで、ものすごいはやさで伝わるのを感じました。
先生に適当なことを言って、わたしはすぐさま教室を駆けだしました。
先生は、わたしの親が離婚したことを知っていて、わたしを心配してくれているんだと分かっていました。
けれど、そのとき、私の隣には友達が立っていて、その子に知られてしまったらどうしよう、と瞬時に恐れを抱いたのです。
小学生の間、わたしが誰かに自分の家庭のことを話すことはありませんでした。
幸い、離婚を機にわたしは引っ越しをしていたので、自分が黙っていれば、誰かに伝わる恐れはありませんでした。
離婚=悪いものだ。
そう思い込んでしまっていたわたしにとって「友達に知られたら、大変なことになる!」と怯えていたのです。
ヒステリックな母、怒鳴る父
新しい母は陽気で朗らかで、小柄でかわいらしい人でしたが、血のつながらないこどもふたりも面倒を見なければならないストレスや、親戚とのいざこざがきっとあったのでしょう、しょっちゅうヒステリックを起こしていました。
(いまならまだ大人の事情を理解できますが、当時はただ意味も分からず、その激情をなすすべもなくぶつけられるしかありませんでした)
再婚当初から、母親に暴言を吐かれたり、夜中にたたき起こされて説教を数時間されたり、そんなのは日常茶飯事。
また、父も父で、すぐカッとなって、怒ると大声をあげたり、物を投げたりする人だったので、それも怖くてたまらなくて、ただただ、反論もせず、ちいさく縮こまって「終わってくれ…終わってくれ…」とこころで願い、ふたりが口にするひどい言葉の数々をなんとか受け流していました。
辛くても頼る大人がいない状況
母がヒステリックを起こすと父が怒り、父が怒ると母がヒステリックを起こす。だから、どちらかを頼るなんてことできません。
わたしを生んだお母さんやその親戚とも月に1度、離婚裁判で決められた面会があったので交流はつづきましたが、たった1回会えるときにそんな悲しいことを言えないし、しあわせな姿を見せてあげたかったので、黙っていました。
また、再婚時に、父は二度目の親権争いを行っていて、もしいま、わたしが「いまの家がつらい」なんてぽろりと本音を言いでもしたら、また裁判になって、父にしんどい思いをさせてしまうと容易に想像できて、それはなんとしてでも避けねばならないことでした。
その、二度目の親権争いについては、その数年後(それでもまだ小学生でした)のときに知って、ぼんやりとですが、そのときの父が疲れ果て・ちいさく見えた記憶があったので、自分を引き取ってくれた父にそんな思いは二度とさせたくなかったのです。
学校でも、先生にもらして友達にもバレたら、なんて思われるだろう…いじめられたり、後ろ指さされるのかな…そんな不安で自分から打ち明けることはできませんでした。
離婚を隠すことが辛かった中学生時代
中学生の授業参観のとき、友達の誰かがわたしに言いました。
「のんちゃんって、お母さんに似ていないよね」
わたしは笑いながら答えました。
「そうなのー、ていうか、お父さんにもあんまり似ていなくってさーお父さん二重出し、わたしも二重がよかったー」
なんとか冗談めかして話をそらしましたが、こころはひどく傷んでいました。
まだ、自分の親が離婚していることは恥ずかしいことであるという意識は消えずに、また再婚してできた新しいお母さんとは勿論血がつながっていないとは誰にも言えないままでした。
しかし、家のなかでは家の中で、小学校時代から変わらずに辛いことが何度となくあって、誰かに相談したかったけれど、吐き出したかったけれど、打ち明けるのが怖くて…
ちいさな部屋に閉じ込めらることを余儀なくされているような気分でした。
大事にしまっていた高校生時代
高校生になって、親友と呼びたいひとが何人かできました。
親友たちのあたたかな人柄に触れて感激をおぼえたとき、わたしは決まって、自分のコンプレックスである両親の離婚のことを打ち明けたくなりました。
そして、何人かに話しました。
10年以上の間、胸にひめていた思いは、うまく言葉にできず、つっかえ、嗚咽が漏れ、めちゃくちゃな文脈だったと思います。
それでも耳を傾けてくれました。
話し終えたあとの反応はそれぞれ。
わたしは思いました。
「やっと打ち明けられた。でも、わたしがしたかったのは、本当にこれだっけ?」
打ち明けて、みんなが反応を返してくれて、みんながわたしのためにこころを痛めて涙してくれました。それはとてもありがたく、しあわせなことではあったのですが、なんだか違和感が残っていました。
やっとコンプレックスである離婚を人に話せたけれど、こうすることを望んでいたのは、違うかもしれないという気持ち。
大学にはいってから変わった離婚の価値観
大学生になりました。
やっと実家を離れ、物理的な距離ができたことで家族のことで悩むことも減り、ストレスが一気になくなって、わたしはのびのびと生きられるようになりました。
生きやすくなったことには、もうひとつ理由があります。
わたしは大学で哲学を専攻していたので、人生の命題について議論をする場をたくさん持ちました。そこではみんな、自分の経験や価値観を持ちよりながらも、なんとか論理的に語ろうと努めます。
わたしが学んだ哲学は、本格的なもの(ウィトゲンシュタインとかアランとか)もありましたが、もっと社会学よりの恋愛や性・そして家族のこともテーマにあがりました。
そういった環境で、「親が離婚をしているんですけど」ということで議論のなかでたびたび意見することがありました。最初は胸が苦しくなったり、泣きそうになったり、言葉につまっていましたが、いつも冷静に話そうと意識した結果か、だんだんとその話をすることに慣れてきました。
そして、気づきました。
あれ、このコンプレックス、実はたいしたことなかったかも?
「離婚はたいしたことない」と知ったらずっと生きやすい
わたしは、確かに傷ついて傷ついて、いまも「離婚」のふた文字に翻弄され、家族のことで悩んでいます。
でも、世間的には離婚ってたいしたことないのです。
私自身の問題として、重要なことではありましたが、離婚そのものはどうってことない。隠す必要も、誰かとの親交のしるしに打ち明ける価値のあるものでもない。
大したことない。だから、そのことによって自分が誰かに笑われたり、後ろ指さされたり、そんなこと絶対にありえない。(し、もしそうする奴がいたらそいつは人間のクズだから関わらなくて正解だ)
そう気づいたとき、肩の荷が下りたようでした。
本当は、年を重ねるにつれて、周りに両親が離婚している人も増えたのですが、話せないままでいたせいでその人たちと分かち合うこともなく、話せないことで自分自身に恥じるべきものと印象付けていたのでしょう。
ずっと前から大したことないと知っていたけど、きちんと自分自身でそう受け止められたのは、大学時代に何度も何度も話す訓練を行える機会に恵まれた、そしてその言葉を大したことないもののように扱ってもらえたからだと思います。
いまでは、なんのためらいもなく「実は離婚してて」と話せます。深いところに話が及ぶと、辛くなることもあるけれど、それはわたしの内側の問題。外から見れば、そのコンプレックスはどうってことなかったのです。
だからこそ、外に向けて積極的に発信していくことで、内側にももっと冷静な目を向けられ、そのコンプレックスを、ただの自分の人生に転がっていたひとつのちいさな真実であると受け止められるようになるのではないでしょうか。
誰かと離婚の経験をシェアしたい
いままで「離婚」のふた文字から逃げてきましたが、最近だと積極的に同じような境遇のひとの話を聞きたいと思っています。
それによって内側によい影響を与えられるかもしれない。自分が話すことによって救われていったように、誰かの助けになれるかも。そんな気持ちがあるからです。
コンプレックスをさらけだすことで、それ自体は悪ではなく、それをコンプレックスとみなす自分のこころと対峙できるのだと気付きました。
「知られたくない」、「吐きだしてしまいたい」そういうふうに自分のなかでぐつぐつと思いをたぎらせるより、「たいしたことないもん~」と、余裕綽々でいたほうが、ずっと、ずっと生きやすい。
(ただ、わたしもこうなるのにはずいぶんと時間がかかったので、もしいま話せずに悩んでいる人がいたら、無理に全部を打ち明ける必要はないと思います。すこしずつでいいので、口にしたり、SNSで書いたり、そういうちいさな発信の経験を積んでいきましょう!)
コメント