こんばんは。週末に顔を合せなかった講座メンバーに、「ひさしぶりに会ったら、お前やっぱりうるさいねん」と言われたもぐら(@robotenglish)です。
きょうは、ワークショップとして釣りに挑戦して、金谷が誇るイケメン料理人監修の天丼をいただき、ずっとお会いしたかったブロガーさんへのインタビューが叶い、夕ご飯も美味しくて、適度な疲労感に眠気がさそわれ…
充実したいい一日だったと思います。
でも、私、いま、とても悲しい。
悲しいとき~ 悲しいとき~
突然、悲しみが襲ってくることがたまにあります。
特に中高生の頃は、頻繁にありました。
ともだちと談笑しているときに、ふっと、急にやってきたり。
それが授業中だったら、眠たいふりをしてハンカチで顔を抑えて涙を吸収させたり。
トイレに駆け込んだり。
大人になるにつれて段々と平気になってきたように思えていましたが、大学生の頃に爆発しそうになって、短期間ですがカウンセラーの先生にお世話になりました。
(これは突然というより、積もり積もって限界を迎えたようでした)
いまがまさに、その「悲しい」とき。
こんな気分のときに、わたしが実践する方法を紹介します。
話す
これができたら一番いいのになあ、と思いながら、実はなかなかできないのがコレ。
友達や恋人や家族に話すことができたなら、自分の悲しみの一端を誰かが背負ってくれていると思えたなら、
きっと気持ちは大きく違ってくるのだろうな、と思います。
わたしは(普段は余計なことまで言うくらいおしゃべりなのに)、こういう感情を表にだすことがすごく苦手な子どもでした。ただ部屋の隅っこでじっと声を押し殺して泣いていた記憶しかありません。
いまも苦手です。家族や友達には絶対に言えません。
わたしのように、なかなか周りの人に伝えることができないという人は、カウンセラーの先生を頼ってみるのもいいかと思います。
学生であれば、学校にいるスクールカウンセラーの先生に一度、相談してみてください。
「ともだちに知られたら、どう思われるか…」と不安になる子もいるでしょう。
「心理学に興味があった」とか、適当な嘘でもついちゃえばいいのです。
いま一番大事なのは、他人の思考よりあなたの気持ちです。
カウンセラーの先生と話した後は、体の毒素が抜けたように感じていました。
自分のコミュニティの外にいる人だからこそ、話せることもあります。
呟く
SNSの全てがいいとは思えませんが、悲しみとSNSの相性は上々だと思います。
「この感情、誰に打ち明ければいいんだ…」と思ったとき、誰の顔も思い浮かばないと、余計に悲しくなっちゃいますよね。
わたしはよくそれで一人で落ち込んでいます( ..)φ
「誰か」と限定する必要はありません。とにかく出しちゃえ!書きなぐっちゃえ!
わたしも深夜に、たまに、鬱ツイートと言われそうなものを連投する日が。
特にわたしは、文章を書くことに慣れ親しんでいるので、文字として表れると、安心するというか、客観的にみれるというか…呟くことで落ち着く場合があります。
SNSや日記など、自分にあった感情を吐露するのに最適な場所があると◎
食べる
幸福感と満腹感って、密接。
仕事で失敗して、すごーく落ち込んでいるときなんかは、「食べる」が一番効果あり!
さっきまでずどーんと落ち込んでいたのに、甘いものを食べただけで、ころっと忘れちゃう自分を
「単純だなぁ」と笑いながらも、なんだか愛おしく思えませんか?
寝る
とにかく!とりあえず!寝よう!
普段の生活では困る「寝たら忘れた」という能力も、悲しみにはぴったり。
お腹一杯になって、熱いお風呂につかってぽかぽかになったら、頑固な悲しみも眠気に抗えません。
寝てしまえば、案外、悲しみなんてなんてことないものになっているかも。
泣く
わたしが一番信頼しているのがこの方法。
もともと涙もろいので、悲しみがどばっと押し寄せると、目がしらも熱くなります。
「なんだか、きょうは、気分が沈む…」というときは、泣けるものを観たり読んだりして無理やり泣いて、すっきりしてから寝ます。
わたしは想像力が人一倍豊かなので、自分の葬式を使って涙を引き出すことも。
悲しいときは、「とことん悲しんでやるぞ!」という姿勢で挑むのが、案外、早く気持ちを切り替えるのには有効です。
逆に下手な方法は?
感情って複雑で、「嬉しい」「楽しい」とか一言で言っても厳密には、もっと様々な繊細な感情が混ざり合って、その一瞬の気持ちを形作っている感じがありますよね。
悲しみも同じで、一言で言い表しても、それだけじゃない。
わたしの中のイメージとしては、暴走族みたい(笑)
トップを先頭にして、手下たちがブンブンブンブーンって迫ってくる感じ。
そんなふうに、色んなものが渦巻いてやってくると、こちらとしても少々手荒いマネをしたくなりもするわけです。
自分のなかで「なにか爆発しそう!」と思ったとき、わたしは初めて自分のなかの暴力性を意識しました。
とにかく、なにかを破壊したくて堪らなかった。
でも、やっぱり頭の隅でいつもの自分がいて、本当はガラスとか割りたい気分だったのに、ティッシュ箱を殴る、に留まってしまいました(笑)
「くそっ!わたしはティッシュ箱程度しか相手にできねーのか!」と逆効果だったり。
自分を傷つけるのも、「傷つけたい」その気持ちは理解できますが、決しておすすめできません。
自分を傷つけるくらいなら、家中のティッシュ箱をぶち破るくらい、暴れましょう!
おわりに
読み返して、思います。「当たり前のことだな」って。
でも、その「当たり前」が一番必要としていることなんだといつも感じます。
友達とだって、いつも一緒にいたら、楽しくて大好きなのに、急にむっときてしまうこともありますよね。
悲しみの存在も、それに似ているんだと思います。
むっときたって、それで切り離せるような関係ではないから。
それなら、なんだかんだ、目を背けたり、忘れたり、向きあったりして付き合っていくしかないですよね。
本当に、いつか友達みたいに「おお、悲しみよ、やってきたな」と軽く扱えるように、自分の面倒な感情と付き合っていけたらいいなあ、と思う夜です。
あしたも元気にがんばるぞ~。
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