なんでもない日を大事にして、明日までは生きてみよう。

オピニオン
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暗い天井を眺めながら、涙が全て耳まで届くのを感じていた。
きょうを振り返ると、それはぽろぽろと止まらなかった。
きょうみたいな日はいつぶりだろうか。

いつもよりすこし早起きをして、
おはよーって挨拶して、
だいすきな人が作ってくれた朝ごはんを食べて、
こどもとぼーっと朝の教育番組を見て、
いつもどおりコワーキングスペースをオープンさせて、
掃除して、
仕事の打ち合わせして、
部屋の片付けして、
夕方にすこし運動をしに海辺の公園まで行って、
おいしいラーメンを食べて、
少女マンガにきゅんきゅんして、
布団にもぐりこんだ。

特になにも、大きな幸せがあったわけじゃない。

ただ、1日、心穏やかに過ごすことができた。

それに気づいて、感動して、涙が溢れてきた。
思い返しても、こんなに波風がたたずに1日を終えられたのがいつぶりか、先々月まで遡らないといけないかもしれない。

いまはまだうまく言葉にできないのだけれど、端的に言うとヤバイと思ってた。

ここには、夜中の怒鳴り声も、いつ心をすり潰されるかと怯える恐怖も、不用心な言葉に傷つかまないと耳をふさぐこともないのに、
なのにまるで小学校、中学校時代に戻ったかのようだった。

それより酷いかもしれないとも思えた。
なにせこうなった理由が分からないから。

電車のホームで、無感情に、そこに飛び込む自分を思い描いたときには
もうとっくに自分のこころは、わたしの指先を離れてもっと暗く深いところに嵌まりこんでいた。

口に出すことが憚れるような言葉を並べるためだけのブログを新しくつくるくらいには参っていた。

わたしは旅が好きだから、きっといい気分転換になるとすこし長めの旅にでてみた。
半分は楽しめた。でも残りの半分は、ドミトリーだからと声を押し殺して布団に包まっているか、無気力にぼーっと過ごして。

普段の生活では、時に日中でさえ気持ちの波が荒れて人前に出ているのが難しくなり、
大抵は夕方までしか気が持たずに、部屋で過ごすことが圧倒的に増えた。

自問自答の渦が八の字のように切れ目を知らない。
わたしはどうしてしまったんだろう?わたしはどうなってしまうんだろう?みんなこんなきもちをかかえてまでいきてるの?いきれなかったひとは、やっぱりこんな

でもきょうは違った。

おいしいご飯を楽しみに早起きして、
おはようって笑顔で迎えられて
やっぱりおいしいご飯を食べて
こどもの笑顔に癒されて
日の光がぽかぽかななかで掃除して
自分の成長もたのしみな仕事の打ち合わせして、
部屋を片付けて(途中でうたた寝しちゃって…ごめんなさい…)
久しぶりに外で体を動かして気持ちよくって
初めて行ったお店の醤油ラーメンがめちゃくちゃ美味しくて
試しに読んだ少女マンガがどストライクできゅんきゅんして
布団に入って気付いた、「あれ、きょうは一度も泣いていないや…」

気付いてやっぱり泣くんだけど、どっちにしろ泣くんかい、と心の中でツッコミながら、
でも嫌じゃなかった。

目隠しをされた状態で、瞼の裏にある残火を頼りにすこしずつ歩を進めるような日々がいつまで続くのか、それすら続けられるか正直なところ分からないけど
とにかく進んでみるんだ。

いまはきっと、前も後ろも気にしてるときじゃないんだ。
とにかく進んでみるんだ。

穏やかな日も、だいすきな人も、無心で夢中になれることも
ぱらぱらとでも足元に転がっていて、出会うたびに丁寧に拾い上げたらいい。

そうやってなんでもない日を作っていこう。そうやってつくった日を大事に思って、明日までは生きてみよう。

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