こんにちは、野里のどか(@roboenglish)です。
先日、Twitterでこんなツイートをしました。
簡単に「ごめんね」って言えちゃう人がきらいかも。
— 野里のどか (@robotenglish) July 25, 2019
このツイートについて、後日しっかりと考えてみました。
その結果、約束に対しての向き合い方・他人についての向き合い方を考えるきっかけになったので書き留めてみました。
みなさんは、約束を守れていますか?
「ごめんね」って言われて、嫌だった
そもそもこれをいつ思ったかというと、先日、知人と一緒に外出をしていて。
その日の流れ的に、そのままごはんまで一緒に済ませて解散、となりそうだったところ、
相手の時間の都合で、ごはんを食べずに解散をしなくてはいけなくならず。
わたしは、「あ。それは仕方ないよね」くらいの気持ちだったのに、相手が、さらっと「ごめんね」と言ってきたことに対して胸がぐっと苦しくなりました。
「ごめんね」に対しての苦しさはなんなのか
それで、このツイートが思わずぽつりと漏れてしまいました。
簡単に「ごめんね」って言えちゃう人がきらいかも。
— 野里のどか (@robotenglish) July 25, 2019
今日、友人数人と飲みながら、このツイートに話題が及びました。
そのときに気付いたんですけど、別にすべての「ごめんね」に足して不快に思う…なんてことは全くないということに。
じゃあ、どの「ごめんね」に対して苦しくなるのか?
約束は相手から与えられる大事さの量
友人たちの話題が、恋愛へとうつり、ひとりが「信義がある人に惹かれる」と言っていました。
信義とは、「約束を重んじる」ということ。
「自分は約束とかついつい破ってしまうからこそ、そこに誠実な人はいいなあと思う」と。
強い共感を覚えました。
果たされなかったちいさな約束たちが、ふとした瞬間に驚くほど胸の奥深くまで刺さっていることに気付いて苦しくなる。あああのとき抱いたときめきが、いまはこんなに痛いんだって。だからわたしは、ちいさな約束こそ守れる人でいたい。人に、期待される人でありたい。
— 野里のどか (@robotenglish) September 3, 2018
約束って、大切です。特に日常のなかでぽろりと飛び出した約束ほど、脳裏にこびりついて離れなく待ち遠しくなってしまいます。
わたしも、つい、忘れることはあります。人間だもの。
だけど、小さな約束ほど、律義に守りたいとなるべく努力をしているつもりです。
今回の撮影は、「あ。関西行くなら、あのときの約束を果たそう…!」と思って実現しました。
ただの口約束でも、1年かかっちゃっても、「覚えててくれて嬉しかった」と言ってもらえて、ああわざわざ京都まで来て本当に良かったなあ。
「じゃあ、また1年後」って言って別れた。楽しみが増えたよ。 https://t.co/lPgTICmRyf
— 野里のどか (@robotenglish) September 1, 2018
約束へ向きあう姿勢は、相手をどれほど大事に想うかという量のあらわれだと思っています。
わたしは、守られなかった約束に対して簡単に「ごめんね」と言われたときに胸が苦しくなると気付きました。
それは自分が軽んじられていると感じているからです。
約束が守れなかったら、ちがう方法で大事さを示そう
約束と自分は一緒で、約束が重んじられないと、自分が大事にされていないと感じます。
ただ、約束全部が守れるはずないっていうのも分かっています。
わたしもなるべく守ろうとはするし、できない約束はしないどこうと自分にセーブはかけますが、それでも時にはどうしても都合がつかなかったり、忘れてしまったり……。
そんなときに、咄嗟に口を出るのは「ごめんね」だとは思うのですが、簡単にそういって終わらせてしまうんじゃなくて、
大事さを示せるように、つぎの約束をこちらからするとか、相手のほうの都合まで気遣うような真摯な対応をできたらな、と。
相手のちょっとした言動で傷ついてしまって、もやもやして、馬鹿みたいと自分では思うのの、
こうやって自分自身の人への向き合い方も改める機会になりました。
みなさんも、守れない約束をしてしまっていませんか?
その約束との向き合い方、考えてみてください。
アイキャッチ画像撮影:ハリー
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