春がわたしたちの上に降る、別れの涙の意味はなんだろう。

オピニオン
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こんにちは、のんちゃんこと野里和花(@robotenglish)です。

千葉・金谷ではまだ寒さに身を縮めていますが、人々の道筋には春が降り始めています。
きのう、5カ月一緒に暮らした仲間とお別れをしました。
涙が止まらない。この涙の意味はなんだろう。

11月第1週目

東京に来て5カ月で、わたしは千葉県の南房総・金谷という田舎町に、生活に必要最低限の荷物をまとめてやってきました。
田舎暮らしに興味があってやってきたわけではなく、就職もせずにライターとして細々とした生活を続けていくことがあまりに不安で、思い切って「田舎フリーランス養成講座」というWeb合宿に参加した次第でした。

そこには30歳台から20歳まで、大学生、フリーター、求職者、地域おこし協力隊に興味がある人などなど…ここに来るまでの経緯がばらばらの9人が集まっていました。

そのなかにいたのが、だいごでした。わたしと1日違いの誕生日に生まれた、同じ年のだいご。
目じりがさがった優しそうな表情をしていて、笑うとふにゃっとする笑顔が人懐っこさをそのまんま溢れさせていました。お昼ごはんを食べながらの交流の時間で、一緒にピザを囲んで、学生時代の部活動や出身地、好きな食べ物なんかの、ありきたりな話を、していたように思います。

1ヶ月間、田舎フリーランス養成講座の受講生は、講座の開催場所であるコミュニティスペース「まるも」の周辺にある3つのシェアハウスにそれぞれ住んで生活をします。
朝、起きたら身支度をしてまるもへ。パソコンを立ち上げながら朝ごはんを食べ、午前中は講義に集中し、お昼ごはんを食べ、午後は講義で習ったことをアウトプットし、当番制で夕ごはんをつくり、食べ、夜はそれぞれの作業に集中し、寝るためだけにシェアハウスに戻るーーー毎日がそんな日々。

こうやって書き起こすと、息がつまる日々のように思えてしまいますが、実際はそんなことは全くありませんでした。

田舎フリーランス養成講座では、Webスキルを教える講座のほかに「田舎」を肌で感じられるワークショップが用意されています。

11月第2・3週目

最初のワークショップでは、釣り雑誌の編集者の方から釣りを教わり、釣った魚をつかってフリーランスで活躍する料理人が天丼の美味しい作り方を教えてくれる、というもの。ね、たのしそうでしょう?
久しぶりにした釣りはたのしくて、天丼は「ほっぺたが落ちるほどおいしい!」くて、とても充実した1日を過ごすことができました。

だいごはここに来るまであまり料理をしたことがなかったらしいけれど、わたしが魚のさばき方を伝えると、ちいさくて滑るハゼを、苦戦しながら、身をいくらか削いでしまいながら下ろしていました。

わたしとだいごは、鶏解体ワークショップにも参加しました。
卵を産むために養鶏農家さんに飼われていた鶏を、屠殺し、さばき、美味しくいただく、という内容。

3人1組で、1匹の鶏をさばきました。だいごも同じ組でした。一緒になって暴れる鶏を抑え込んで、泣き虫のわたしが包丁を握り、頸動脈を突き刺す屠殺行為をしながらだらだら泣いていました。3歳くらいの女の子も参加していたけれど、泣いていたのはわたしだけだったなあ。

普段、命をいただいているけれど、それを「分かったつもり」になっているだけで、実際に自分が命を奪う、という行為をすることは、とても勇気がいりました。金谷のふたりの料理人が、たっぷりのこころと時間をかけて調理してくれた鶏たちはより一層味わい深く、感謝の気持ちで丁寧に咀嚼していただきました。

帰りの車、後部座席に一緒に座っただいごは、すぐに寝てしまって、わたしの肩に頭を預け出して。わたしは、といえば、運転してくれている人に申し訳なくて眠れず、高速道路の、赤く伸びるランプの光がぼやける度に頭を振り、すやすやと可愛い寝顔を見せるだいごを恨めしく思っていました(きみはそんなこと知らないだろうね)。

車内に流れていたELLEGARDENの『ジターバグ』は、力強さを感じさせる曲なのに、やさしく響いて、どこか心地よくて、やっぱり眠たくてたまらなかったなあ。

11月第3週目金曜日

田舎フリーランス養成講座は、朝食後と夕食までのタイムスケジュールはだいたい固定されているけれど、それ以外の時間は比較的自由なものでした。

朝起きが得意な人は朝5時から作業をスタートしていました。わたしはその逆で、深夜2時頃まで(息抜きに卓球をしたり、人浪ゲームに興じたりしながら)作業をすることが多かったです。だいごと、旅好きのかんちゃんもだいたい遅くまで残っていました。

コワーキングスペース内で、昼間よりもはっきりとBGMが耳に届くなかで、わたしたちはインプットとアウトプットの目まぐるしさの日々で抱いた不安や迷いを共有することも。

土曜日と日曜日は講義がないので(結局、ブログを執筆して作業にあてていたように思えますが)、金曜日の夜はすこしだけ浮足立っていました。その日も、それぞれブログに取り組んだりコーディングの勉強を進めたりしながら、時間はすっかり土曜へと移っていました。わたしとかんちゃんは、お酒が弱い自覚があるのに、だいごに押されて、3人でワインで乾杯しました。

いつものBGMの代わりに懐かしい音楽を流しながら、取り留めのないことを延々と話していた記憶があります。
たとえばオーストラリアにある不思議な木のことや、たとえば過去の恋愛、たとえば他の受講生と交わした会話ーー。

酔いがまわって、ほっぺはじんじんと熱をもち、書いていた記事への集中力は失ってしまっていたけど、そこには「いい感じの夜」があって、あまり好きでもないワインをジンジャーエールで割ってぐびぐび飲みました。そのうち眠気が襲ってきて、だいごが一番にソファに横になりだし、シェアハウスに戻らずここで寝ているのがバレたらきっと怒られちゃうよなあ、と小心者のわたしは怖々としながら、だいごにならってソファで場所を確保すると、あっという間に意識がすっと闇に落ちていきました。

11月22日夜

1993年11月22日に生まれたわたしは、この日23歳の誕生日を迎えました。
1993年11月23日に生まれただいごと一緒に、みんなでお祝いをしてもらいました。

泣いて笑って、最高に幸せな時間でした。
こうやって年を重ねていきたいと、こころから思いました。

11月第3週目日曜日:深夜のこたつ進路相談会

最終週を迎える一晩前、田舎フリーランス養成講座主催者の山口さんのご自宅のコタツにみんなで集まって、深夜の進路相談室が開かれました。

その頃には、わたしは金谷を、コミュニティスペース「まるも」をすごく気に入っていて、ここで12月以降も過ごすのもいいかもしれないと考え始めていました。

ひとつのコタツに10人くらいが集まってぎゅうぎゅう詰めで、指先に触れるあたたかいウーロン茶と、左隣に座るだいごの体温と、もう冬が日に日に深みを増す時期になっていたのに、部屋はどこまでもあたたかく、カーテンの隙間から覗く窓ガラスは白く染まっていました。

順番に、これからのこと、ここまでのこと、いま思っていることを話しました。全員がひとりの話しに耳を傾けていました。
3週間一緒に過ごして、それぞれの内面はもう分かっていたけれど、意外な考え方や、ここに来るまでの出来事に驚くこともありました。

だいごは頭が良いので飲み込みが早くて、抜けているわたしをいつも「ばかだなあ」とからかいながら、なんでもこなして、余裕綽々で生きていそうな節がありました。
でも、そこで語られたのは、いままでのイメージと全く違う彼でした。わたしと同じように家族のことで悩んでいた過去。

いままでの、たのしくておかしい時間を共有しているときとは全く違うこころの部分で、一番近く共感しました。ここ、まるもを「家族ってきっとこんな感じなのかな」と言う言葉、ここでこれからも生活を続けてみようと思っていること。
ただ決定的に違うのは、いまだにもがいているわたしと、それを受け入れているように話す彼。

シェアハウスに戻って、熱いシャワーをあびながら、ゆっくりとだいごが言っていたことを噛み砕いて頭の中で繰り返しました。そのとき、かちっとなにかが填まるように、ここに移住することがわたしのなかで決定づけられました。

わたしはここで、自分のように、生まれた環境でもがいている人のためになにかができるかもしれない。

11月第4週目金曜日と12月第1週目

田舎フリーランス養成講座の最終日には、ひとりひとりが、ここを旅立った後のことを事業計画として発表しました。
わたしが移住を決めたことを話すと、みんなが歓迎してくれました。

修了パーティーを終えて、同期たちがひとり、またひとりとまるもを去って行きました。

移住することを決めただいごとわたしは「またすぐに」と言って別れました。

12月第4週目と1月第1週目

田舎フリーランス養成講座中は、常に20人ほどの人がいて賑やかな雰囲気ですが、それ以外のここでの時間はとっても穏やか。
のんびりした時間を過ごしながら、あっという間に年の変わり目がやってきました。

12月30日には、隣町に住む方のお家にお邪魔して、みんなで餅つき大会。
竹で手作りのコップをつくってお酒を飲み、子どもみたいに鬼ごっこではしゃぎ、餅つきをして出来立てのお餅を苦しくなるくらいお腹いっぱい食べて。

12月31日は、門松をつくって、近所のお魚屋さんで買ったブリをさばいて、しゃぶしゃぶと年越しそばの準備をしました。
除夜の鐘を聞きながら神社まで歩き、熱々のぜんざいを食べたら満足して、鐘もつかずにまるもへ帰りました。

夜が明ける前に車で出発して、鴨川へ。
初日の出はあんまりにも綺麗で「毎日こんなに綺麗な景色が生まれているなんで、奇跡みたいだね」ってみんなで頷きました。

毎日、こうやって太陽と一緒に起きて丁寧に生きようって言ったのに、あれから一度も日の出を見ていないと、今になって思い返します。

「こんな正月らしい正月過ごしたの初めてだわあ」と漏らしただいご。わたしも、こんなに気持ち安らかにお正月を過ごせたのはいつぶりだろう。

お正月といえば、実家にいなくちゃいけないものだと思って、ずっと嫌だったなあ…。
来年も、こんな年末年始が過ごせればいいのにな、と、思っていました。

2月

わたしたちが参加した田舎フリーランス養成講座から2カ月後、第7期がスタートしました。
わたしは運営スタッフとして、だいごはコーディングの講師として、今回は田舎フリーランス養成講座に関われることになりました。

だいごの成長は大きくて、受講生だったときからひとりでサイトを制作して、その出来も高評価。
講師として指導する立場にまでなって、正直羨ましさも感じていました。

新しくやってきた受講生たちに接していると、11月がもうはるか昔のことのように思えました。

わたしもだいごも忙しくて、前みたいに無生産な、でも心地よい時間をつくる暇もなくなっていました。

3月

第7期の受講生たちとの別れを惜しむ間もなく、田舎フリーランス養成講座第8期が始まり、また新しい仲間たちが集まりました。
11月が終わってすぐにオーストラリアへ行ってしまっていたかんちゃんも金谷へ帰ってきて1ヶ月間滞在することに。

だいごも変わらず講師として関わっていましたが、2月よりももっと忙しくなって、金谷にいることも減りました。

そんなとき、だいごが春から金谷を出て、東京で新しい生活を始めることを聞きました。
周りからそんな話はすこし聞いていたけれど、改めてだいごの口から聞くと、やっぱりさびしくて堪らなくて。

その晩はみんなでたくさんお酒を飲んで、くだらない話や、愚痴や、思い出話しに花を咲かせました。
ここにいるメンバーで、こうやって夜を過ごすのは、きっとこれが最後なんだろうなということは、頭の隅っこに追いやって。

なんだか、もっと、もっと言いたいことも話したいこともあったのに、わたしの考えはいつもぐちゃぐちゃで、感情の方が先に溢れだしてしまって、言葉はしりすぼみに、隣から聞こえる笑い声に押しやられてしまう。
すこしだけもやもやした気持ちを抱えたまま、そのまま眠ってしまいました。

4月1日

考えは結局まとまってくれないまま、時間は駆け足で過ぎて、田舎フリーランス養成講座第8期が修了、だいごがまるもを去る日を迎えました。

最後に、と、だいごとかんちゃんと3人で、金谷へ最初に来た日に行ったピザ屋さんへ足を運びました。お腹を抱えて笑いながら、美味しいピザを食べて、こんなに幸せな1日を過ごすチャンスが5カ月の間の毎日に潜んでいたと思うと、「そりゃあ、一生こんなに満ち足りているわけないか」って変に納得できるような気も。

あまり仕事をしない贅沢な日を過ごして、あっという間にだいごが乗らなきゃいけない電車の時間に。
まるもの前で、たくさんの人に見送られて、だいごは出発しました。朝から降ったり止んだりだった雨は、このときばかりはぴたりと止まってくれていて、手に持った傘は役目を必要としないまま、わたしと一緒に駅までだいごにくっついていきました。

もとから静かな田舎町ですが、雨の日の日暮れは、一段としんとしています。駅のホームにはぽつんとひとり先客がいるだけ。

「東京なんてすぐだし」だいごが金谷を出ると知ってから、何度この言葉をだいごから聞き、何度、この言葉を自分に言い聞かせたでしょう。
東京まで2時間とすこし。東京まで2時間とすこし。東京まで2時間とすこし……

17時44分の電車がゆっくりと雨で色あせたホームに滑り込んできました。驚くほどゆっくりと。
電車の車内は、明るいオレンジの光でいっぱいで、見るからにあたたかそうで。傘をもっていなかった右手で握手だけして、だいごは電車に乗りました。

出発の1時間前、だんだんと今日が最後の日だという実感に蝕まれて、たくさんたくさん泣いていたのに、またぐずぐずと鼻を鳴らしだしたわたしひとりを残して、無感情に閉じたドア。電車は、入ってきたのよりすこしだけ速いスピードへ、次の駅へと進みだしました。

ワークショップの帰りの車で、高速道路の赤いランプが糸を引いていたように、電車の窓たちから零れるオレンジの光は、涙の向こうで輪郭を失って、尾を引くように走り去っていきました。

4月2日:春

涙の意味はなんだろう。
昨日のぐずついた天気とは打って変わって、よく晴れた日曜日を迎えました。

コミュニティスペース「まるも」には、5ケ月間繰り返した変わらない日曜日の朝が、訳知り顔でやってきて。

ここに集まるほとんどが移住者で、ほとんどが永住する気で移住したわけではありません。喧騒から離れた休息場として、成長するための訓練場として、ふれあいを求めた憩いの場として…いろんな理由で移住を決めた人たちは、いろんな事情でここを去っていきます。
5ヶ月の間に、何人の人を迎え入れ、何人の人を見送ってきただろう。

毎月、当たり前に繰り返される別れは、さびしさだけではなく、焦燥感を伴います。
わたしは移住し、コミュニティスペース「まるも」の店長となり、恐らくここの人たちのなかでは比較的長い期間、ここに留まるでしょう。

まるもではたくさんの面白い人が集まり、新しい取り組みが生まれ、あたたかな人々に囲まれた満ち足りた時間を過ごせます。
でも、わたしと肩を並べて仕事をしていた人の背中がちいさく遠ざかり、新しい場所で挑戦を始めるのを見送るたびに、「わたしはここで足を止めていていいのだろうか?」と焦る気持ちがむくむくと大きくなるのも確かです。

「ここでまだまだやるべきことがある」という気持ちと、「ここにいたら学べないことがある」という気持ち。
どこへ行っても、そのふたつは相反するものでしょう。ここにいる多くの人が、刺激的だからこそ、尚更強くそれを感じるんだと思います。

ぴったり同じ時間をまるもで過ごしただいごが、新しい生活をスタートさせる。それは、他の人よりも深くわたしにこの先のことを考えさせました。

だいごは、結局、ずっとわたしの一歩先を走っていて、そのまま次の場所へまで行っちゃった。

ひとり、5ヶ月間にあったたのしかった時間を思い返していたきのうの帰り道。
言いたかったんだけど、うまく言えなかった言葉は、やっぱりいまでもあやふやなまんま。

人の深いところに踏み込むのは、相変わらず怖くて、ひとりで地団駄を踏み続けているわたしは、5ヶ月の間にたくさんの思い出を共有してもすこしも変わることができなかったのかもしれない。
でもきっと、だいごに言えなかった言葉をうまく吐き出せないままだと、いつまでもわたしはここでやりたかったこと・わたしが移住した理由を実現せずにいるだろう。

だからまだ、ここにいる意味があるんだと思っている。
ここでたくさんの人と触れ合って、すこしずつ人のこころに触れられる機会を重ねていければ、言えなかった言葉が自然と口にできる日がくるだろう。

春がやってきて、わたしの仲良しだったともだちがここを去った。
わたしはこれからも、ここでたくさんの人を迎えて見送ってを繰り返すだろう。
成長はすこしずつでいい。すこしずつでいいから、いつか人のこころに触れられる優しい人になりたい。

だいごのために、わたしがどれほどのことができたかは分からないけれど、ただ、誰よりもこれからの彼の道筋が明るいことを祈っている。

春がきた。
新しい毎日をつづけていこう。

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