「考えられる人」が強いし、「自分に正直である人」が結局しあわせを勝ち取るだろう、という話。

オピニオン
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こんにちは、野里のどか(@robotenglish)です。

ウーマンラッシュアワーの村本大輔さんをご存知でしょうか。

人気お笑い芸人でネタは何度も見たことがありますが、彼がnoteをやっているとまでは知りませんでした。

 

これを読んで、わたしは自分の未来がとても楽しみになったし、やるべきことに対しての覚悟が固まったような感覚でした。

(わたしのブログは読み飛ばしてもらってもいいので、ぜひ村本さんのnoteを読んでみてください!)

村本さんのnoteを読んだ感想と一緒に、

  • 考えられる人の強さ
  • 自分のやりたいことが明確であることの強さ

について書きたいなと思います。

ウーマンラッシュアワーの村本さんのnoteを読んだ

今朝、朝起きて布団のなかでTwitterを見ていたら、ウーマンラッシュアワーの村本さんのnoteをたまたま誰かがツイートしていて、それを読んでいました。

ウーマンのネタは、好きです。ただ、いままで村本さんのTwitterだとか、炎上騒ぎだとか、そういうものには一切の興味をそそられませんでした。どこに惹かれて読んだの?と聞かれてもよく分かりません。

そんなの、どーでもいいんです。

村本さんのnoteには、生きるうえで大事にすべき本質が書かれているようにわたしには思えました。

自分で考える、自分で発言をする

note、読んでほしいんですけど、まだの人にわたしが雑に要約をすると、

「大麻は合法化すべき」と発言してアメリカでの1か月の仕事がなくなった村本さんが、自分で渡米し、英語でのネタづくりに励み、ニューヨークの舞台で笑いをとった

という話です。

村本さんがアメリカへ行っている、なんてちっとも知りませんでした。
思い返せば、最近、村本さんの近況がわたしのところへ届いたのは、「吉本問題に対してなにも発言していなくて炎上している」というネットニュースだったと思います。

「村本さんレベルだと、なにも言わなくても炎上って……」

と呆れた覚えがあります。
村本さんはnoteの中で、吉本問題に関して、ほんのすこしだけ触れていました。

芸人はいい仕事だ。吉本のニュースに対し「村本何で黙ってるんだ」というコメントもきた。しかし本当に興味がない。自分はワイドショーのコメンテーターではない。誰かが自分の目の前に置いた食材をさばいて仕事するつもりはない。自分の言いたいことは自分の心が動いたものだけ。ワイドショーにふりまわされるほど、おれは暇ではない。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔

嫌ってくらいネットにもテレビにもこの話題が流れてくるから、自然といろんな人の意見を目にしたのですが、誰のコメントよりも村本さんの言葉が、わたしには真に迫りました。
たったこれだけだけど、村本さんがご自身で考えられていることが感じられました。

みんな、ワイドショーの席のなかで、似たり寄ったりなコメントばっかりで、そこに誰の意見が何%含まれているかなんて判断できないようなものばかりで。

件の、「大麻合法化」の発言が、どれだけ炎上したのかとか、普段から村本さんが大麻に対してどんな立場だったのか、とか、わたしは知りませんが、
ただ、意見を言う、ということは物事を自分で考えているということです。

火に油を注いでいる人のなかで、どれだけ「大麻」について考えていた人がいたんでしょうか。
大半は「村本さん」のことが気にくわないばっかりで、大麻なんてどうでもよかったんじゃないでしょうか。

匿名で、人の意見に乗っかるだけの人が大勢います。Twitterは大好きですけど、そういう人たちを目にすると、こころがすり減ります。

村本さんはそんな「自分の頭で考えない人」を他所に、仕事がなくなっても自分の意志でアメリカへ行き、新たな舞台で成功体験をしました

村本さんは、自分で考えているから、外野がどう思うと、強いんだと思います。

自分の欲望に正直であれ

たくさんの金言がちりばめられていて、どこを切り取れば…と思ったのですが、そのなかで一番、くすっと笑って、親近感をもてた部分を引用します。

作った笑いがパスポートのようにあっちこっちに連れてってくれる。勉強もスポーツも出来ず大して面白くない僕をこのパスポートは日本一の漫才を決める大会の頂点に連れて行ってくれて、テレビの中に連れてってくれて、大好きなテレビスターの目の前に連れてってくれて可愛い女の子とのベットの中にまで連れて行ってくれた。そして今回はそのパスポートはアメリカで見たことない景色に連れてってくれた。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔

この部分を読んで、勝手に村本さんのこども時代が浮かびました。
めちゃくちゃ正直に自分の欲望をさらけだしていて、あまりに大っぴらだから、全然いやな感じがしないなって。

自分の欲望を見せるって、恥ずかしいという風潮があると思います。

「拒絶されたらどうしよう」
「こんなこと言うのってわがままかもしれない…」
「もしかしたらほかの人とはずれているかも…」

見せる前から怖がってしまって、結果自分自身も取り繕ってしまう。わたしだってそうです。

でも、いつだって、しあわせを自分で創造している人は、自分に正直です。欲望を外に出すことに抵抗がありません。

案外、自分が望んでいるものは誰しもが望んでいるものでもあって、受け入れられることがあります。声に出すことで、するすると叶うことだってあります。

村本さんは、めっちゃ正直なんだと思います。
だから、正直に生きられない人が「なんであいつばっかり、楽しそうに!」って石を投げたくなるんだろうなあ。

そんな石をひょいひょいって避けて、知らぬ顔で、彼が自分の欲求を正直に認めて、それを叶えていくさまが容易に想像できました。

自分で考えて、自分の気持ちに正直な人は、強い。そして、しあわせを感じやすい。

わたしも、そうありたいなと思うばかりです。

1か月がぽっかり空いたら、どう過ごそう?

村本さんに共感したのは、彼の言葉が素直なものだったというのがありますが、それとちょっと状況が似ていたからです。

わたしも、1か月のお仕事を依頼していただいていて、そのために予定をまるまる1か月空けていました。
それが突然なくなってしまって。

自分の非もあったので、自己嫌悪もありましたが、「え、でも、言ってたのと違うじゃん…」という部分もあってかなり気持ちが混乱しましたが、それを言ったところで誰もしあわせにならないなあと思って口を噤んでおとなしく受け入れました。

ここ数日はもやもやを抱えながら、自分の仕事に向き合っていました(テンションが低い方が仕事がはかどるので、いいことです)

一番の悩みは、ほかの予定を断ってまで(どうしてもその仕事をやりたい理由があったので)空けていた1か月間をどう使おうか?というところでした。

仕事を辞めて、大きな方向性もちょっと迷っている状態で、さらに空白ができてしまっては大混乱。いろんな気持ちが交錯してしまって、困っていました。

そこで村本さんのnoteを読んで。
文句を自分のなかでためこんでよかったな、と思ったし、彼のように、空いた1か月を未来の自分のために投資しようと思えました。

正直、あの時、仕事がなくなった時はテレビ局の名前も出してSNSで書いてやろうと思った、だけど踏みとどまった。それはおれのやることじゃない、と、おれのやることは自分の場所で自分のやり方で、じゃなきゃおれがおれでなくなる。と。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔
「おれがいま言いたい」という気持ちがあるからいまウケるんだ。不思議なものでそれは絶対にお客さんに伝わる。今回はSNSでも言わず、舞台の上まで我慢し続けた分より強く表現できた。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔

そしたら、きっと、その先で笑っているのは誰でもない自分になるんじゃないかなって。

わたしは優柔不断なので、またすぐに「ああ、でもやっぱり予定詰め込むべき?」と思ってしまいそうですが、いまのところは気持ちがすっきりしています。

村本さんの言葉

最期に、自分でも今後読みかえして迷ったときに道標にできるように、村本さんのnoteから、いくつかこころに響いた一説を引用させてもらいたいなと思います。

note、ぜひ読んでくださいね。
彼がこんなに文章も上手だなんて知りませんでした。悔しいなあ。負けらんないなあという気持ちです。

 

自分の言いたいことは自分の心が動いたものだけ。ワイドショーにふりまわされるほど、おれは暇ではない。人はいつ死ぬかわからない、まだまだ乗りたいアトラクションがある、だからアメリカで過ごした1ヶ月はテーマパークの中を走りまわってるようだった。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔

 

いるわけもない。しかし、いるわけがないからいかないんじゃなく、いくということをやりたい。結果ではなく行動をしたい。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔

 

ユダヤ人の芸人がアウシュビッツをネタにする、彼は「悲劇と喜劇はルームメイトだ」と言っていた。悲しいことは笑えることでもある、と。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔

 

それがなくなったことは僕には悲劇だった。しかしその悲劇は大きな喜びになった。その喜びは喜劇だと思えた。黒だらけのオセロがひっくり返っていく、そんなものを見た気がした。。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔

 

大麻発言は仕事をなくして笑いを生んだ。しかしおれが仕事で見る予定だった景色以上のものを見せてくれた。あの時の悲劇はこの先の喜劇に。あの時の実感はその次の実感に、そしてこれらすべての実感は再構築し笑いに仕上げて漫才や独演会という自分の場所へ。
引用:あの時の悲劇はこの先の喜劇に|村本大輔
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