あるところに、びろさん、という笑顔が晴れやかな女性と、猫が3匹暮らしていました。
びろさんの住む家は南房総にある築70年の古民家、「びろえむ邸」。
そこに「不便な生活を体験しよう」と、5人がやってきました。
美味しい料理と甘いマスクで女性を魅了しながら、犬の「バンビ」を恋人としている、まるさん。
まるさんのもとで料理の勉強をはじめた、てっちゃん。
旅をして生きるベジタリアンでクリスチャンの、かんきくん。
サラリーマンをやめて、いまは写真で人のこころを動かしている、けんけんさん。
そして、家族や恋愛、仕事など、人生にまるっと迷子の、わたし。
びろさんは、わたしたち5人をあたたかく迎えてくれました。
「貴重な体験」をさせてもらう代わりに、わたしたちはびろさんの生活のお手伝い。
びろえむ邸には、薪ストーブが設置されています。そこでお湯を沸かし、料理をし、体をあたためる。冬を越すには、たくさんの薪が必要で、きょうのわたしたちの仕事は生活になくてはならない薪を割ること。
丸太をチェーンソーで切断し、それを斧で割る。枝はのこぎりで。廃材はさびた釘をひとつひとつ抜く。火をおこし、灰になってから、それを肥料として使えるように、丁寧に。
斧は重く、のこぎりやチェーンソーは腰をおっての作業。薪は、いくら切っても終わらないように思えます。開始してすぐに、体があつくなって、着こんでいたコートもニットも脱ぎ捨てました。1時間を越える頃には、体にじわじわと痛みを感じるように。
「こんなに体力をつかって、根気のいる作業を、びろさんはいつもひとりでやっているんだ」ときおりわたしたちにアドバイスを送り、黙々と作業するびろさんの背中は、ちいさいながら、そこからたくましい生命力を感じます。
「夕日を見に行こうか」まるさんが提案しました。玄関前で、じっと廃材と向き合っていたら、気づけば日が落ちる時間になっていたようです。庭に一歩踏み出すと、溢れるオレンジに視界が一瞬いっぱいになりました。
すこしだけびろえむ邸の周辺を散歩します。ふわふわなススキが、風になびいて海のようにうねっていました。その先の山に、夕日が沈んでいきます。体を使っているからこそしっかりと得られる「働いた」という充実感がそれぞれの顔に見られて、それがオレンジから藍色に染まるのを、みつめていました。
時計はありません。いまが何時かもわかりません。けれど、あたりがぐんと夜に包まれていくので、きょうの薪割りはおわりにして、家へとはいります。汗が冷やされて体温が奪われてしまう前に、びろさんがストーブの火を準備します。
ちいさなものから、大きなものへ。火を移していきました。タテヨコ15センチほどの窓のなかで、ばちばちと燃え盛っていく炎を、6人と3匹で、じっと、くいいるようにみつめます。
「火って、不思議な魅力があるよね。ずっと見てても飽きない」
しばらくそうしていたかったのですが、腹の虫が非難がましい声をあげそうだったので、料理の仕度をはじめました。鍋の水をいれて、昆布と魚のアラと一緒に薪ストーブの火に乗せます。出汁がでたら、びろさんが作った人参や水菜、春菊、ロメインレタス、紫小松菜をつからせていきます。
まるさんとてっちゃんが包丁を握り、わたしはお皿を運んだり、盛り付けを手伝ったり、火が絶えてしまわないように見守ったり。びろさんとけんけんさんとかんきくんが、近くのスーパーへと買い物へ。それぞれが、役割をもってつくっていく食卓。
音のない空間に生きることって普段の生活であるでしょうか。いま、ここには、包丁のリズムと、ばちばちと爆ぜる薪の音だけです。この無音のなんとここちよいことか。
買い物を済ませた3人が帰宅して、食材が追加されます。お魚、鶏肉、白菜、つみれ。お鍋がシューシューと音をたてだした頃、ぽってりとしたマンボウとの刺身が盛られた皿がテーブルにあがり、歓声がもれました。びろさんが今年収穫した新米は、コロンとした土鍋で炊きます。
役割を終えて、ぽつりぽつりと席に着き、お酒をグラスに注いだころ、お鍋のなかの具材たちも、食べごろをむかえていました。ふたを開けた瞬間に視界が白い湯気でぶわっと包まれ、鼻いっぱいにお出汁のいいにおいが。新鮮な自然そのもの、という顔をしていた野菜たちは、くったと煮えて、わたしたちの箸をいまかいまかと待っているようでした。
はふはふ、はふはふ。お鍋の食材たちは、もぎたての柚子をいれた手作りポン酢をくぐらせて、刺身たちにはマンボウの肝いり醤油をそえて。「おいしい」ふだんおしゃべりなわたしも、もうそのひとことしか言えません。かんきくんは人参の甘みを噛み締め、けんけんさんはマンボウの身の不思議な食感に感心し、まるさんとてっちゃんは、自分たちがこしらえた食材たちの華麗な変身に満足げに箸をすすめます。みんなの「おいしい」の大合唱に、びろさんもうれしそう。
野菜はたっぷりあったので、わたしたちは何度もおかわりしました。びろさんの新米も、ふっくら、つやつやに炊きあがり、しゃもじでまぜたとき、底からお焦げがあらわれると、おもわずため息が。締めにはラーメンをいれて、びろさんがつくった味噌をとき、スープの最後まで美味しくいただきました。
食事をおえると、テーブルの上にキャンドルを並べて、まるさんがギターを手にとりました。柚子サワーのさっぱりしたかおりと、ラム酒の甘いかおり。みんなそれぞれすきな歌をリクエストして、歌いました。部屋の隅では、空き缶でつくられたライトがくるくると回っていて、白いカーテンに雨粒みたいな影が躍っていました。
気づけば、てっちゃんは眠ってて、歌のあいだに、ぽつりぽつりと、いままでのことやこれからのことを話したり、猫のあたたかな体を、すうっと手でなでたりして、夜はふかくに落ちていきました。家々は決して密集していないので、外の明りはすくなく、雲の切れ間からほしぼしのひかりをしっかりとみました。
火であたためられた体は、奥の奥からあたたかで、外にでてもちっとも寒くありません。雲が流れ、頭上の星を隠してしまうまで、そこに立っていても平気でした。
翌朝、猫が頭の上をとおりすぎる足音で目が覚めました。5つ仲良く並べられた布団のいくつかは、すでに空っぽになっています。用心し、ストールを体に巻きつけてから、布団をでましたが、予想外に空気は冷えていませんでした。
食卓にはすでに、まるさんがいて、びろさんが薪ストーブであたためたお湯で緑茶をいれてくれました。膝のうえでまるくなる猫の体温と、お茶の熱を感じてはっきりと目が覚めたころ、さっぱりした顔のてっちゃんがやってきました。
「朝食の前に入ってきたら?」
その言葉に甘え、お風呂をいただきました。湯船にはお湯と、昨晩使った柚子の皮が浮かべられていました。柚子のかおりが、いっぱいにひろがっています。肩からうえの空気に触れる素肌のひんやりさが気持ちよく思えるくらい、お湯のあたたかさはちょうどよいものでした。
お風呂からあがると、食卓には、朝食が並べられていました。有精卵の卵焼きには、昨日、出汁につかわれた昆布が。鶏のハムに、ほかほかの玄米ご飯と、紫大根がたっぷりつかわれたお味噌汁、梅干し。
全部にびろさんの手間と愛情が込められていて、シンプルだけどしっかりと満足感と1日の活力を与えてくれるご飯。窓からさす朝のひかりに、ふわふわと湯気が立ち上っていく。髪を乾かさずに食卓についたので、冷えてしまうかなと心配していたけれど、ご飯は体の内側から熱を生み出してくれていました。
まるさん、てっちゃん、かんきくん、けんけんさんが、昨日の薪割りのつづきを始めるのを横目でみながら、わたしはびろさんと、ここにきてわたしのなかで生まれた夢や目的をはなしました。びろさんは、どうして南房総を選んだのか、この「びろえむ邸」にやってきた経緯をはなしてくれました。
ストーブの火を絶やさないように、見守りながら、びろさんの話にじっと耳を傾けていました。
「またきてね」
お昼をまえにして、わたしたちの帰りの時間がやってきました。昨日ここに初めてやってきたなんて思えないくらい馴染んでいて、もうわたしはここで生まれたんじゃないかと思えるほどで、さようなら、というのはなんだか違う気がしました。
「またきます」
5人ともそういって、何度も振り返って、手を振って、びろえむ邸を後にしました。「よかったね」「うん、よかった」「またきたいね」「うん、またきたい」確かな満足感で、胸はいっぱいで、くちにでるのは単純なことばたちばかり。
「不便な生活」を強いられることが、「貴重な体験」になると思ってここへやってきたわたしでした。これほど満たされている生活が、これほど基本にもどった当たり前の生活が待っているなんて。
上着がいらないくらいに、あたたかな昼の日でした。それとも、1日、びろさんの火にあたり、あたたかな人たちと一緒に過ごしたから、こんなにも体が生きる熱をもっているのでしょうか。
ここでは1月に紅葉が見ごろを迎えるみたいです。それを待ち遠しく思っているのは、わたしだけじゃないはずだと、おもっています。
■このお話の登場人物
びろさん
まるさん
てっちゃん
(3年後くらいにお店をオープン予定)
かんきくん
ういみっく村 | You Are Special 〜たいせつなきみ〜
けんけんさん
KENJI HIROTA PHOTOGRAPHY AND BLOG
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