俳優になるためのワークショップ[台詞と向き合う編]に行ってきた!3日目

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大野城まどかみあで行われたワークショップの3日目です。いよいよ最終日!合わせて、1日目、2日目の模様をお伝えした記事もどうぞ。

1日目

http://ohta6322.hateblo.jp/entry/2015/11/12/173653

2日目

http://ohta6322.hateblo.jp/entry/2015/11/12/174001

3日目

開始の1時間前には、かなりの数の受講者が会場にいた。濃密な時間も今日が最終日。スタート時には、自分の身体で全開のパフォーマンスを魅せようと、入念なウォーミングアップが行われていた。私たち観客は、舞台での役者の顔しか知らない。このような入念な準備の上での演劇なんだと、その姿は教えてくれるようだった。

最終日も、解す為のジャンプと自分がロープになるイメージの訓練がされてから、10分間のグループごとでの話し合いがもたれた。その後、1回目の発表。「体験が前提としてちゃんとあれば、それが屋上に出してくれるんだ」。昨日と同様、早くイメージが固まった者から、舞台へと出ていく。最初に出た者と比べて、随分時間のかかる者もいる。それに対して内藤さんから前日にはなかった指示がでた。「彼が勇気をもって一番に出た。その後ろが遅いと、一番最後に出るイメージをつくっている奴の緊張感が緩んでしまう。誰かがでたら、勇気をもってどんどん行け!」そして、出たら、他の人のいないスペースへむかうこと、人と被らないこと、顔が見えなければ舞台上にいないのと同じ――1日目の会場を歩き回ったときに言われたことが繰り返される。短期間のうちに何度も聞かされることで、体にも入っていくのだろう。

昨日から何度も台本を読み込んでいき、ここでやっと内藤さんの口から台詞の繋がりについて言及された。「自分の台詞をやろう、やろうとしてもダメ。人からもらえないといけない。俳優は受容体であるべきだ。いいのくれ!って、思っとかなきゃ」。そこで起こっている出来事を体験してこそ新しいものが出てくる。台本には「うん、」という台詞が9つ並んでいるが、そうすれば、ひとつとして同じ「うん、」は生まれないだろう。いつだって足りないのはもらう作業だ。自分の台詞を言うことに気を取られすぎて、他の人を見れない、聞けない。体が敏感であれば、体から言ってくれることもある。最後の「うん、」は、舞台上の体験をそれぞれが過ごしてみなければ分からない。体験と身体と感性で実験してみる、そしてそこを毎回楽しむ。そうしたら、納得ができる台詞の在り方ができるはず。そのために、繰り返し稽古をする。繰り返し稽古をすることで具体的なものが生まれる、そうすると段々と周りが見えてくる、聞けるようになる。「うまい芝居より面白い芝居、新しい芝居が見たいんだよ」。体の動きや立ち位置は、技術として習得できれば芝居をよく見せてくれるだろう。しかし技術で芝居をしたら面白くない。技術は使うもので、表現それ自体にはならない。

2回目の発表では新しいルールも加えられた。台詞を言った人の方へ体を必ず向けること。今までのままだとどうしても一人芝居になりがちだ。体を向ければ、勢いが出る、アンサンブルになる。そして台詞が聞けるようになれば、体の向き方も変わるだろう。向き方が、自分の内に生まれる気持ちを現す。そこまでこれたなら台詞にも変化が出るはず。向き方も、舞台上でなにか動作を加えるのも、これ以上やったら変に見えるのではないか、と心配しがちだが、内藤さんからすれば、やっていることの足りなさの方が気になっているものだ。やってみることで、登場人物の関係性の発見ができる。やらないことで、駄目になっていることは多い。舞台上の選択肢に、なにもしない、というのはない。最大限の表現をやってみること。精一杯なにもしないのも勿論ある。最初から動きを加えない、は駄目。

3回目の発表では、自由にやってみろ、との指示がでた。そうすると、際立ったキャラクターや設定が飛び出し、面白いのだが物語が二転三転し、台詞さえ変わってしまった。これでは台本のある舞台にならないが、こういう遊びが必要なのだ。遊んでみて、体が動くようになった。相手と向き合えた。遊びはやれるとこまでやっていい。やってみると台本のなかでどこまでやれるのか分かってくる。つまり、遊んだことによって、台詞の流れという制限のなかで、どんなイメージや関係やハプニングが有効であるか、不要なものであるか、それが判断できるようになり、有効なものを積み上げていくことで劇空間をつくる。その作業の為、もう一度グループごとの検証の時間がもたれた。

4回目に課せられたルールは、台詞を変えないこと、ノイズ以上のアドリブは発しないこと。そのルールに則ることで、3回目のように変な方向へ転がることもないし、検証が行われた結果、2回目より全体的に動きと関係性が加わったものとなった。それぞれが舞台上で散乱するものに驚いたり、屋上から見える景色から目を背けたり、カップルであることや姉妹関係が伝わったり、上下関係も表れた。2日間で何度も、読んで、遊んで、読んで、遊んで…と繰り返してきたことで、この台本に書かれていること、書かれていないことで書かれていることが、最大限に引き出されていった。そして、登場人物をどう生きるか、それを掴むためにはこの3日間のすべてのことが必要なのだ。この3日間でしたことを、3年かかって「役作りに必要なことだと身に染みる」ことが出来ることであり、そしてその後もずっと続けていかねばならないことである。最後に内藤さんが44人の俳優にむかって贈った言葉が印象深かった。「明日はもっと生きられる、それを信じて作業するのが俳優である」。

1日目

http://ohta6322.hateblo.jp/entry/2015/11/12/173653

2日目

http://ohta6322.hateblo.jp/entry/2015/11/12/174001

 

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